2016年12月17日土曜日

松阪市役所の組織が変わる~文化ぱくる「産業文化部」~

<松坂市議のブログより>


市役所耐震工事 003
ついでに市役所の「髭」刈り取るか?
松阪市の組織機構改革、たかが組織、されど組織・・・・。
総合計画も、平成14年からの14年で5回目の策定。組織機構の改編はもう記憶がないくらい。
あまりコロコロとよく変わるのは、うまく機能しなかったからということである。
仕事や勉強がうまくはかどらないと、自分の部屋の模様替えをするようなものだ。

来年4月1日から、山中前市長職を消し、竹上色を付けた市の組織に変えるための条例改正案が現在の議会に出ている。

髭剃って気分刷新。

確かに山中・前市長時代には「MADE IN まつさか課」とか、いろいろな名称があったのがわかりにくいという評もあったということで、ここで一気に変更。

あまりどうでもよいことだが、「建設部」というのが復活する。
いまは都市整備部というのがあるが、これはほぼ名称変更だけ。
ちなみに「MADE IN まつさか課」は、どこでもよくあるように「地域ブランド課」に。

わかりやすくーーということだ。

気になったのは、現在、情報企画課にある広報広聴係が、秘書広報課という、市長ー副市長のタテのラインの直轄に。

なんだか、広報が市長の秘書の配下に納まるような気色がして、気分が悪い。
もちろん、市の組織なのだから独立中立はありえないのだけれど、昔は広報担当と言えば、記者クラブと市長・秘書部門とのパイプ役となるべく、やや外寄りの位置感覚にあった。が、今度は、うんと市長の懐に引き寄せられた感じがする。
市長は、自分に対してニュートラルな距離感を置く広報より、自分にうんと直属してくれる広報のほうがお好きなようだ。
報道管制型広報にならんように願いたいものだ。

いままで、教育委員会にあった文化課が、市長部局の産業文化部に。
文化の意味のとらえ方がきっと違うのだろうな。

もう古い話で、1980年初めのことだ。当時、「文化行政」とか、「行政の『文化化(化ける2つです)』」という言葉がはやった。
1984年度には、松阪市にも市民文化会館が出来、松阪大学(億単位の市の補助金が入った)が誕生、津市には県立の美術館が出来た。
自治体が「文化」にお金をかける時代となって、喜ばれた。
もう、道路ばかり、どぶ板ばかり、橋ばかり造らず、文化に力を入れよう。文化に力を入れるからといって公共事業が減るわけじゃないから決して建設業界も困るわけじゃないし。
そうそう、なんと、松阪市立図書館は、1977年に新しくなり、1986年にもう一度新築されるおまけつきだった。

一方で、箱物行政という言葉が生まれたのもそのころ。

当時は、「文化=箱」だった。

いま、「施設白書」づくりとか、「施設管理計画」で、35年たった箱物の修繕計画に頭を悩ませている。

どうせやるなら、そのころ、「産業文化部」にしちゃってもよかったのかもしれないが、今回は、国史跡松坂城跡や国重文・御城番長屋、長谷川邸、本居宣長旧宅等々の「文化」を観光にして売り出そうとしてのことだろう。

市長部局の観光部署と、教育委員会の文化部署が、隔たっていて、相互理解ができなきゃ困ってしまうから?
だけれど、行政の貧困というか、「文化=観光=産業」の三段論法のようなノリである。
中には、文化には、「あんたたちに仕切られたくないわ」「もっと勉強してから文化を語れ」という偏屈さもつきものだが、そんなことはお構いなしというか、標準化、標準化、わかりにくいのはイヤ志向だろう。

しかしまあ、デベロッパーまがいにやってくる土地利用計画が、文化を土足で買いにくるというのは・・・・。
ちょっとは宣長さんのこととか、松阪の歴史とか、勉強してからにしたらどう??
急に、文化が商売になると思われちゃったら先人が泣くはな。

文化すべては把握困難だから、せいぜい、観光やイメージ戦略に使えそうな部分のパクリということで、カタカナの「ブンカ」という言葉くらいにしておけばとも思うが、そうすると「なぜカタカナなのか?」という突っ込みには説明能力が足りないからダメ、わかりにくいということになるだろう。

まあ、しかし、「産業文化部」だなんて、文化も軽く見られたものだな。
ほんとうは文化のほんの一部をパクリたい(エエトコどりをしたい)レベルなんだけどね。

平成17年1月1日に合併した松阪市。旧4町の役場は地域振興局となって残った。
市役所のことを「本庁」と呼ぶという習わしが出来た。
当時、わたしは、市役所のことを「本庁」と呼ばせるな、そして、呼ぶな、と発言したこともあった。
本当は都市内分権的な要素をもたらそうとして、旧役場をたんなる「出張所」「支所」ではなく、「地域振興拠点」という位置づけをもたせようとしたのが、振興局という存在だ。
だから、地域振興局長は部長級だった。
今度は、“本庁”の企画振興部という組織の中に、4つの地域振興局が下る。次長級だって。
別に部長がよく仕事ができて、次長はできないというわけではないが、合併当時の約束は終わったんだな。

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