<松坂市議のブログより>
山下祐介・金井利之著の『地方創生の正体ーなぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書)に、こんなくだりがあります。
「まず計画づくりに失敗するパターンとして、誰も望んでいない計画が、どういうわけか全員一致で決まるというのが挙げられます。」
「ところが、後になって失敗すると、社員たちは『俺は内心はやりたくなかった』とか『私はあのとき、実は反対していた』とか、いろいろなことを無責任に言い出すのです。こういうことは失敗した企業の計画では実によくあることです」と続きます。
これは、企業に限らず、さまざまな団体や自治体、議会にもあり得ることです。
もしかしたら、東京オリンピックの新国立競技場問題にも共通点はあるのかもしれません。
必ずしも日本に限った話ではないそうですが、日本人に強い傾向であるようです。
おかしいと思いつつ、みんな賛成しそうだし、自分だけ反対するのもどうかという「場の空気」がそうさせているのかもしれません。
もう手もとにはありませんが、学生時代に読んだ、日本政治思想史の大家、丸山眞男さんの『現代日本の思想と行動』に収められたエッセーに、だれも責任をとらない大系が戦争に至ったとの記述がありました。
古くて新しい日本人気質かもしれません。
しかし、その部分が、フクシマ原発を機に変わってきたところかもしれません。
従来、地方の議会では、「異議な~し!」という大勢にかき消されそうにある中、「異議あ~り!」と叫べるかどうかが、大きな分岐点でした。
「異議」は議会内では「少数意見」かもしれませんが、世の中全体を見渡せば、実は、声なき声で本当は多数派であるのかもしれません。
議会というコップの中の世界と、外の世界ではズレがあることは往々にしてあることです。
http://blog.livedoor.jp/kaiju_matsusaka/archives/52243062.html
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