2015三鷹市議会議員選挙が終了しました。1691人の方に名前を書いて頂き、28人中26位で当選という結果でした。
統一地方選挙組にとっては、ネット選挙解禁を体験する最初の機会となります。私はこの機会を今後の為の実験の場とするべきだと当初から考えていました。ブログに過日書きましたように、自身の当落にはあまり関心がない状況でしたので、当選できていたことにまずびっくりし、その割には下の方スレスレで、いろいろ考える材料が出てきたなと実感しました。
政党組、無所属組を問わず、全国的に政治家のなり手が減少しています。今回の統一選では無投票という実態が相次いだところもあります。民主主義はよく「治者と被治者の自同性」という言葉で説明されますが、なり手がいないなら話にならないわけです。多くの方に今後政治参加して頂けるよう、ネット選挙は本当に意味があるのか?を今後実験したということになります。
さて、まずはデータを公開しましょう。
・大半が「お気に入りまたはブックマーク」からのアクセスだった。
・グーグル検索の推移は、4/19(日)から4/26(日)の8日間で、52→63→78→39→38→62→116→320と推移。4/26は開票作業が始まった後に急増しており、その意味で4/25の116件が最高と考えられる。
・4/25(土)を時間帯別に見ると、19時以降のアクセスが急増している。一方、前日の金曜日はさほど伸びていない。
・半田伸明という言葉で検索されたのは、たったの25件しかない。検索ワードで多かった順に、「三鷹市 選挙」→「三鷹市議会議員選挙」→「半田伸明」→「三鷹市 選挙 候補者」→「三鷹市長選挙」の順。「三鷹市 選挙」でも76件しかない。
まぁ、ものの見事なスベリッぷりですね(笑)。アクセス件数が2453件を記録した時もありましたが、大半がお気に入りまたはブックマークということを考えると、普段から見てくださっている方が見ていたというだけの話であり、掘り起こしとは到底思えない状況ですね。
これらの現象から、いくつか仮説が立てられます。
【仮説1】ネット選挙は全く意味がない。
【仮説2】そもそもネット選挙にすらなっていない。
皆さんはどちらだと思いますか?
私は後者かな?と考えているところです。
つまり、ネット選挙という実験をしたものの、実は相手にすらされず、そもそも選挙の土台にすら立てていなかったということですね。
もっとも、このことからネット選挙活動は意味がないという結論を出すのは、時期尚早と考えます。なぜなら、一定のアクセスがあり(例えば有権者数の3割とか)、それでも勝てないという場合意味がないという立論はあり得るでしょうが、そもそも入り口に立つことすらできなかったのですから、意味があるかないか以前の問題と思えるからです。
では、なぜ三鷹市の有権者はネットをあまり見なかったのか?という素朴な疑問が出てきます。もし可能ならば、他の立候補者の話も聞ければなぁと思いますね。え?それ半田のところだけだろ?俺んとこけっこうあったぞ、というのなら、また別の話になりますので。
現時点では、そうではなくそもそも投票意思決定の際にネットを参考にしないという仮説を立てて、それに対して考えを進めてみることにしましょう。
人々は、駅頭やチラシやマスコミで、認知段階に入ります。その後「投票意思確定」に入ります。
マスコミでワーワー騒がれているのなら話は別ですが、今回の三鷹市議会議員選挙はそんなことはありませんでした。こういう時は、選挙公報が最終段階なのではないか?と推測し始めています。私の頭の中では、「認知→公報→各候補者のブログ」と考えていましたが、そうではなく選挙公報どまりであるということです。
こう考えると、選挙公報はわかりやすくダイレクトに主張を伝える言葉のみで構わないとなりますね。思えば、私は選挙公報にごちゃごちゃ盛り込みすぎました(笑)。
そして、認知です。
チラシは、興味ある人は見るでしょうが、そうでない人はゴミ箱行きでしょう。
一方、駅頭活動や選挙カーの音声は、嫌でも目や耳に飛び込んできます。しかも繰り返し繰り返しという状況です。
ひょっとしたら、認知の度合いに差があるのかもしれませんね。繰り返しの効果はやはり大きいのでしょう。
私は議会活動のレポートは、よく配りましたが、それも考えてみれば限界がありますもんね。ましてや選挙期間中は紙ベースは禁止されています。
こう見てくると、ある程度勝利の方程式の解答が見えてきますね。はっきり書きましょう。
駅頭や選挙カーで、いかにインパクトのある認知をさせるかで全て決まる
皆さんいかがでしょうか?
選挙の理想と現実は違うという答えなのです。
私は今回の選挙は理想を掲げました。人々の穏やかな暮らしを壊す音出しは今回からやめますと選挙公報に書きましたし、認知させたいがために選挙直前になってわらわらと駅頭に候補者が増えていくのはおかしいと思っていました。それは発信者側の欲求を満たすだけでしかないと。
ところが現実は上記のようになったのです。
今後、無所属系で出馬の相談が来たら、その方のお住まいの地域にもよるでしょうが(例えば駅の数とか)、私はまず駅に立てというでしょうし、ネットに力を入れることなく認知時点でインパクトを持たせろというかもしれません。
しかし、しかしです。。
本当にこのままで良いのか?は、やはり疑問を感じざるを得ません。
各候補者の掲げる主張を比較検討するためのネット選挙なのに、アクセスすらせずに認知段階で全てが決まり、選挙公報は確認のみということが続くと、ちょっと嫌な感じがします。
よく議員は選挙しか働かないという批判を頂きます。
ここで私が提案したいことは、
選挙に関係なく普段から各議員がネットで情報を発信する文化を作ったら少しは変わってくるのではないか?
という点です。
これは私自身の反省でもあります。なかなか更新するのは大変なのです。そこをもう少し頑張って、自ら議会情報をきちんと公開していくことを、今まで以上に心がけてみたいと思います。全国の自治体議員さんに呼びかけたいですね。発信文化のあり方を変えていこうよ!と。
発信者側が、当選できれば良いという発想を超えて、真の民主主義実現のために(治者と被治者の自同性)発信文化そのものを変えていけば、受信者側も調べるという癖がつくのではないか?その結果、何かが変わり始めるのではないか?と考えているのです。
過日私は、「議員は何かをしてくれる人ではない」と若干挑戦的なタイトルの記事をアップしました。
地方議会において、議員とは市民の代わりに大事な何かを決める人であり、市民の代わりに何かをする人ではないのです。議員は庄屋ではありません。
もし庄屋だと、何かを託すことになりますね。
しかし、「治者と被治者の自同性」を考えますと、「自同」なのですから、庄屋文化そのものがやはりおかしいのです。
有権者サイドが議員に何を求めているのかは、また別の機会にでも書いてみますが、ネット選挙解禁された今だからこそ、今一度選挙のあり方を考えてみるべきではないでしょうか。
私がやってきたことは、明らかに政治家常識からかけ離れていますし、ご心配かけた方もいらっしゃいましたが、それなりに実験効果はあったのかな?とは思います。
最後に、ネット活用して当選した人もいるよ?という疑問が出てくることでしょう。
そういう方ももちろんいらっしゃるでしょうね。
これは答えは簡単で、出だしの時点でイニシアチブが違うとしか言いようがないのです。渋谷区長選を題材に次のエントリーの時に書いてみますね。
いつも長文ですみません。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。最後になりましたが、半田伸明と名前を書いてくださった方の気持ちを考え、今後もきちんと議決責任を果たしてまいりますと書いてお終いにします。
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