<三鷹市議のブログより>
ツイッターでアンケート機能が装備されたようですね。なかなか面白い展開になっています。政治家で活用を図る人が出てきそうですね。
さて、政治や行政が実施するアンケートについて考えてみましょう。このブログで書いてきたように、わが国には真の民主主義は存在しません。個人主義・自由主義からの当然の結論とすら言えるでしょう。何度も書きますが、人は自分のお尻に火がつかない限り動かないのです。民主主義は大切だ!投票に行こう!という理念のみで、人は動かないのです。
アンケートはどうでしょうか。議員さんにしろ政党にしろ、いろんなアンケートを実施します。
まず、誰が見るでしょうか。
議員さんや政党のアンケートなら、その方々を支持する人なら、目は通すことでしょう。そうでなければ、見もせずにすぐにゴミ箱行きでしょう。
行政が実施するアンケートも同じことがいえるでしょうね。そもそも関心がないなら見ることすらない事態は、容易に想定できます。
大切なことは、こんな状況でアンケートに答える方は、ごくごく一部だろうと、実施者側が考えておくことにあります。
つまり、ごくごく少数の集まってきたアンケートなどで、「市民の声を聞いた」とか「協働!」とか言わないことです。
見る人しか見ていないという現実は、よくよく考えると当然の結果なのです。そのアンケートに答えないと、明日からの生活に困るとか考えられないですよね。つまり、受け取り側からすれば、どうでもよいことなのです。
ここから興味深いことがわかってきますね。
アンケートを実施する側は、アンケートをすることそのものに重きを置き「市民の声を聞いた」とかやりたがり、その集まってきた声を忠実に実施したがるのは無理もありません。見方を変えれば、ここにも特定のムラ内部ならではの庄屋意識が見え隠れしますね。集まってきたわずかな声で、仮に政治や行政が動くとなると、これはこれでかなり問題のような気もするんですよ。
つまり、一部の声で、全体が左右されやすいことは否めないということなのです。
ここに想いを馳せると、様々なアンケートの結果を目にした時に、回収率はどれくらいだろう?と気にすることにつながっていきます。特に、行政は、基本計画だの総合計画だの作る時に、必ずと言って良いほどこの手のアンケートを実施しますが、回収率は惨憺たる結果というところが多いのではないでしょうか。
実施する側はわずかな声が集まっているに過ぎないにもかかわらず「協働!」とやりたがる一方で、アンケートの存在すら知らない住民が圧倒的大多数…。
つまり、この手のアンケートの話の類は、片や関心がある人、片や関心すらない人、という2つの社会の存在を確認するに過ぎないということすら言えるのです。
http://ameblo.jp/handanobuaki/entry-12091543487.html
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