<松坂市議のブログより>
松阪市政推進会議(村林守会長)の第5回会議が、28日午後1時半から、市議会の委員会室で「原則公開」ということで開催されました。この会議体は、松阪市長が選定した「市長のブレーン」たち15人と市長が意見交換をすることで政策づくりに役立てようようというもので、予算(報酬)が伴うため、条例と予算を議会も承認した市長公式の付属機関です。「原則公開」なので、傍聴手続きで受付簿に記名して入場しました。
今回のテーマは「平成29年度重点事業について」。
とっても、興味深い。
というのも、29年度予算にかかわることなんて、市議会にはまだ説明のされていない内容です。
しかし、市長のあいさつが終わり、協議の段階となると、例によって「公開とするか非公開とするか」を諮り、予想通りでありましたが非公開となり退席を求められました。
市政推進会議は、第1回~3回を非公開。前回の第4回だけ公開としたということですが、また非公開に戻ってしまいました。
この日の「非公開」理由は、こういうことでした。
「傍聴者(がいること)に配慮して発言するのは難しい。できるだけ自由に発言したい」。
この日は、「全面非公開」の口実となる個人情報・法人情報を含む資料が出る予定はありませんでした。
まともな審議会だと、この時点で、非公開にできる理由はないのだし、「公開か非公開か」などと委員に諮りもしません。というのは、公開が前提ですから。
市政推進会議は、昨年10月に就任した竹上市長が真っ先につくりたいと言った肝いりで、「非公開」を望む市長の考えがベースにしみついていることを知っている村林会長は、
「公開、非公開を決めなければならない。これまで、おおやけにすることで市民を不当に混乱させるおそれがあるということで、非公開としてきました。前回は総合計画がテーマで市民の意見を聴きたいという趣旨もあって公開になりました。本日は、思い切ったスクラップ&ビルドということで場合によっては非公開情報が出るおそれがあるかもしれませんが、どういたしましょうか」と、委員の判断を仰ぎました。
要するに、特段、非公開の理由は存在しないのは明らかではあるが、委員の発言内容にはその人しだいで個人情報・法人情報が含まれる可能性もあるという口実をお膳立てしておき、委員のみなさんは、どっちがいいですか、と振ったわけです。
資料としては個人情報・法人情報は存在していないならば、ふつうは委員の責任において幅を選択すればよい、ということで「公開にしましょう」になります。
そもそも、「公開」か「非公開」かは諮る筋合いはありません。
「非公開」としたいときだけ、委員に諮るのが常道なのだから。
けれど、ここではあえて「公開」「非公開」のどっちがよいかを振れば、これまで「傍聴者がいたら自由に発言できない」と言ってきた委員がどっちを選ぶかはおのずと明らかです。
当然のごとく、委員からは「傍聴者がいると、発言が難しい。自由に発言したい。前回、公開だったとき、個人名が出てしまったかもしれない。従来のように非公開にしてほしい」
との意見が出ました。
他の委員からは意見が出ませんでした。
非公開にするのも予定通りなら、非公開にされ、締め出されるのも予定通り。
実は、この日のわたしの目的は、何をもって「非公開」の口実とするのか、調査・研究の材料(標本)を得ることにありました。
そのような目線からは、今回の非公開理由はなかなかイケていました。
「傍聴者に配慮して発言するのは難しい。できるだけ自由に発言したい」。
一人の委員の、たったこのひとことでズバリ、非公開が決まりました。
傍聴者がいたら自由に発言できないという。
委員が「見せたくない、聞かせたくない」と言えば、非公開になるということだ。
これにはぶったまげました。
それは、本末転倒もいいところです。
だれか、事務局’(市の職員)が、手を挙げて発言すべきです。
「そういうことでは非公開にはできません!」
と。
行政職としての正義を見せてほしいものです。
ほんとうは、委員がどんな発言をするか、密室で好き勝手やってはダメよと、透明性を確保するために公開の原則があります。
市民の前で、どの委員がどんな発言をするのか、チェックを受けながら発言するのがおおやけの委員というものです。
だから、委員の側が、非公開にしてほしい、と言うのは本末転倒です。
市民から発言に内容をチェックを受ける側だということを自覚してほしいと願わざるを得ません。
おおやけの委員は、公開か非公開かを好きに選ぶ立場にありませn。
おおやけの委員は、好むと好まざるとにかかわらず、議論とすべき対象となるものの性質に依らない限り、自身の都合で公開にしないでほしいとは言えない立場にあります。
その側にある人が、「非公開にしてほしい」と言うのは間違っています。
実は、わたしたち議員は、市長ブレーンを置く市長提案の条例を議決して、ブレーンたちの存在を認めているのですが、委員の好き勝手を通したいのであれば、条例にはよらない、市長の私的懇談会の場を設けて自由に発言を願えばよいのです。
条例は、議決によって廃止することもできるので、廃止議案を提出してもよいです。
非公開は、公開にはできない理由が厳密に存在するときだけ、その理由が存在する範囲だけ最小限に非公開とすることができます。
個々の委員が発言しやすいとか発言しにくいというのは関係のない話です。
好き勝手しちゃいけないかた公開原則なのに、好き勝手しゃべりたいから非公開にせよというのは、公的な組織体としてはおかしな話です。
公費の支払いを受け、市条例に基づき開催されている会議であって、私的な井戸端会議ではないのに。
これじゃ法治主義ではなく、人治主義というものです。
委員のみなさんは「市長のブレイン」だとはいえ、行政の法や条例に精通した方ではない方が中心。
行政のプロである市の幹部職員は多数同席していながら、委員の決定に異議をはさまない。
いわば、素人の“暴走”を利用しているフシがある。
このような決定の仕方は、情報公開条例の趣旨や運用基準の著しい歪曲であることを知りつつ・・・・。
市民である委員(市長ブレーン)のみなさんが「傍聴者がいたら自由には話せませんなあ」とか「わたしら、井戸端会議のつもりできているんやわ」とおっしゃった場合でも、条例の趣旨を適切に説明し、公開が大前提であって、非公開という例外は特段に排除しなければならないことを説明し、公開の場で発言することの責任と自覚を「ブレーン」のみなさんに持ってもらうことを説明する責任があります。
条例無視の“暴走”を止める責任があるのに、その空気に便乗していると言われても仕方がありません
きょう、ブレーンとして参加のみなさんの中には、多かれ少なかれ、前市長(山中光茂)時代やその前の市長(下村猛)、その前の前の市長(野呂昭彦)、前の知事(野呂昭彦)、その前の知事(北川正恭)が、公開を前提に開催した審議会等で公開であることを当然のように委員として参加してこられた顔ぶれも多いと思います。
会議の公開の意義を知り、それを当然とする時代に市民参加を経験してこられたプロパーのような方々です。
これだけの人がいれば、「理由もないのに非公開はおかしい」と、怒り出す委員がいてもおかしくもないのに、そういうことにはなりません。そのあたりは、1990年代から2000年ごろにかけての市民参加の開かれた会議体と今との違いがあります。
http://blog.livedoor.jp/kaiju_matsusaka/archives/52266893.html
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