イギリス政治がご専門だがこのところはずっと自治体議会と議員にメッセージを送り続けてみえる竹下譲先生(拓殖大学客員教授、元・四日市大学教授)の講義を聴けることを喜びとしている、数多いファンの中の一人だ。
先生の講義は、議員になった年の夏に四日市大学で出合って以来だから、聴き続けてもう13年になる。
13年といっても、年にせいぜい一度か二度。それでも、欠かさずお聴きできる機会がめぐってくるのがうれしい。
毎回、発見がある。最近は、津市で開催された自治体議員研修会の講師を務めておいでになったので、参加した。
竹下先生と出会ったのは、わたしが新人議員だった2003年(平成15年)の7月。
当時、四日市大学総合政策学部教授でいらした先生は、学生向けの夏休み中の集中講義の一環で、大教室に県内外の自治体議員や市民を招いて3日間連続、朝から夕方までの連続講義(地方議会論)を行われていた。
20分程度先生が解説をされ、議員や市民(ふだんから竹下先生の授業に参加している社会人聴講生)に話を振り、現状を語らせ、学生にも意見を求める。70~80人のワークショップのようなものだ。
地元・四日市市議会を中心に、県議会議員や県内各地の市町の議員多数が市民や学生と語り合った。
そんなことが数年続いたから、すっかりとりこになった。
その中の常連さんが、三重県議会の改革を全国トップに押し上げた三谷哲央議員であったり、幾人かの四日市市議たち、そして、いまも竹下さんが講師を務める研修会では顔を合わせる北勢地方の町議さん。
そのうち、愛知県あたりからも、30~40代の議員が参加してくるようになった。
先生も、何年か前に東京の拓殖大学に移られたことや、すでに75歳になられ一線は退かれたので、もうなかなかかつてのような連続講義はなさそうで、寂しくはある。
そんな中であっても、先生の研究はその後も継続してみえて、このところは明治時代の地方議会というところにあられる。
5年ほど前、松阪市議会の議会改革の議論が渦中にあったころ、先生にした質問がある。
それに対する答えはこうだった。
「昭和20年代の議事録を調べてみなさい」
昭和20年代は和文ワープロはもちろん、タイプライターすらもなかったようで、端正なペン字で書かれた和綴じの文献として議会の書庫に保存されていた。
この50年のあいだにこれを紐解いたのはわたし以外いなかった貴重な史料である。
それを紐解いたとき、60年ぶりに当時の議論の様子が生き生きと甦った。
何日か書庫通いをして、わたしなりに見いだした成果(これをブログに紹介したところ、毎年、発行されている「自治体議会改革白書」に引用いただいた)があった。
昭和22年(1947年)に新しい憲法とともに誕生した地方自治法のもとで産声を上げた戦後の自治体議会の制度的スタートと変遷が昭和20年代、30年代とたどっていく中で確認することができた。
そこまで押さえたうえで議会改革を議論する議員は、松阪市議会にはわたし以外には存在しないので、議会基本条例を制定していくまでの議論のプロセスに非常に有意義なものとなった。
今日の自治体議会の仕組みの原型は、アメリカの地方議会の運用とそっくりだった。
その翌年、竹下先生の講義に参加させていただく機会があったので、質疑応答の時間に「憲法といっしょに入ってきた地方自治法のもとでの議会制度なので、原型はアメリカなんですね?」と質問をすると、「海住さん、自治の原型は江戸時代にあるんですよ。明治の初めにはそれが採用されたのですが、変わったのです」と答えられた。
そのころからだ。先生とお話をさせていただく機会があると、登場する話題は江戸や明治のこと。
昭和20年代までは議事録をさかのぼって読み解いたが、さすがにそれはちょっと研究者でないと・・・・。
実は、先日、津市で行われた2時間半の講義の前半は、明治初年にさかのぼって、なぜ、日本の地方議会が「議決機関」にはなれても「立法機関」になることはできなかったかの体系的な解説があった。
いまは、全国で自治体議会の「改革」流行りではあっても、なにゆえに改革が求められているがその起源にさかのぼっての検証がおこなわれた事例はあるまい。
75歳、竹下先生。恐るべし! 見事な講義と、一級の資料でした。
これからも楽しみにしております。
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