さて、新しい議員さんをお迎えして、定例会が始まり、その日程も終盤にさしかかりました。
私の、議長を務めさせていただいた経験も含めて、何回も議会運営委員を務めさせていただき、先進都市へ事例研究のために視察をさせていただいた経験から言えることは、船橋市議会のあり様が当然と考えていたり、他の議会も概ね同様であろうと思い込んだりしている議員がほとんどだということです。それは大きな間違いです。
確かに船橋市議会の議会運営は何年か前までは全国に誇れるくらい非常に良くできたシステムでの運営が行われていました。
ただし、それはいわゆる55年体制の国の政治状況があり、その反映が船橋市議会であり、かつ、議員各位に市議会議員としての権威もプライドもあった時代での話です。
それは今となってはある意味信じ難い話でもありますが、議会が住民に対して「閉じた」存在とみられていることに何ら顧慮することがなかったと言えます。もっと言えば、非常に高邁ではあるが傲慢で簡単に一言で申し上げると「市民は黙ってろ」というものでした。
ことほどさようにというか、それほどプロ意識が強かったということが言えるのかもしれません。
議会内の様々な改革が進み始めている今、今後の改革の方向性は、「閉じた空間」としての議会からの完全な脱却なのだと思います。船橋市議会においては積極的な議会情報の開示を進めています。他市議会においては議会報告会の実施なども進んでいますが、これに対する住民の反応は期待されたほどではない、というのが実情のようです。
しかし、船橋市議会も含めてほぼすべての地方議会がこれまで住民との関係の構築を議会側から疎かにしてきたのですから、すぐに結果を出すこと自体に無理があり、辛抱強く取り組んでいくことが肝要なのだと思います。
さて何を申し上げたいか?
会派の仲間から次々に信じ難い話を聞きました。
先般、文教委員会と、総務委員会が開かれ、事故に関する所管調査と陳情者の参考人招致の件でした。両委員会ともその必要なし。の結果になったようです。
なにもやみくもに、委員会を開催すれば良いということではありません。
が、しかし、この議論をごらんください。
陳情というのは各地方議会で取り扱いがまちまちで、文書表の配布で終わりという議会もありますし、船橋市議会のように何もかも基本的には委員会付託という議会もあります。そういう意味では、非常に丁寧な議会なのに、その肝心な陳情者の扱いがこういう結果になるのは残念だと思います。
「陳情者から直接事情を聞く。」大事なことです。文章で表現されてないことや文脈からは読み取れないことはたくさんあります。
この総務委員会の話し合いの録画を見ますと、議会のルールさえわかってない議員さんがいることには驚愕でした。本来わかっているべき人なのに。
特定の日に参考人としてお越しいただけないのなら、場合によっては、日程を調整しても良いのです。委員会のことは委員会で決める。委員会の一番の権力者は委員長であって、そこは議会事務局も委員以外の他の議員も議長も侵すことのできない領域です。ですから、特定の日にお越しになれないという回答に対しては、来られる日で調整が可能であれば委員会を開会して参考人の話を聞くという選択肢もあるのですが、そういう議論がなかったのは残念です。
さらには前例がないなどと役人みたいな意見もありました。
また、文教委員会はもっと残念ですね。不祥事があって、会派への個別の説明を受けたからそれでよし。という意見がありました。そうでしょうか?
闇から闇へ葬り去る話です。議員として議会として、その責任の一端を放棄することになります。議会には監視機能があります。
不祥事があって、会派への説明はしたものの、どこにも表に出てきていません。こういうものは記録に残る委員会できちんと再発防止策まで執行機関に述べさせて、記録にとどめるのは当然のことであります。それをしないで、許しているから不祥事が収まらないのです。些細な、瑣末な不祥事だらけの船橋市役所において、いっこうに無くならないのは、「なあなあ」で「なんでも許してしまう体質」が議会にも蔓延しているからです。
私は、そもそも委員会中心主義の議会において、委員会の活動をこそ活発にかつ専門的に進めていただきたいなと思います。
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