2015年6月4日木曜日

選挙の本質は「選んでくれ」にある

<三鷹市議のブログより>

景気下降サイクルの話から始めて、次の景気上昇サイクル入り口である2030年まで自治体はどういう経営でなければならないかまで書いてきました。簡単に書くと、何やってもダメな時代なんだから、税の支出を減らすべきであり、その為には税の支出につき一定の公式を作る必要があり、それは「民の生きるを守る」がキーワードになるということになります。

こうやって書くと実に当たり前の話であり、ご賛同頂ける方が多いのですが、政治とは実に厄介なものでそう簡単にはいきません。今回から政治そのものについて何度かに分けて書いてみます。

選挙に当選して初めて議員になります。選挙に当選するということは本当に大変なことです。選挙に当選する為には、名前を書いてもらわないといけません。候補者は名前を書いてもらう為に、それはもう凄まじい努力をするわけです。

名前を書いてもらうということは、「選んでもらう」ということになります。私を選んでくれということは、見方を変えれば、私以外を選ぶなとなります。至極単純な話なのですが、この単純な話から多くの悲劇が生まれます。

つまり、争いごとが生じるのです。政策を競うとかそんなレベルではなく、ただただ相手候補を非難するということすら現実に発生するのです。

もうずいぶん前の話ですが、どこのテレビ局だったか忘れましたが、SMAPの木村拓哉主演の政治家のドラマがありました。木村さんが総理大臣になっていくドラマでした。そこに石黒賢さんが出ていて、木村さんに「政治は所詮嫉妬と妬みの世界なんだよ」といったようなセリフを言うシーンがありました。

これは本当にその通りだと思います。とにかく他の人が選ばれるのが嫌なのです。この「嫉妬と妬み」というのはマイナスのイメージを持つ言葉なので使いたくはないのですが、様々な政治現象を考えるのにはうってつけの言葉だと思いますので、ここでも何度か使いますね。市議会議員選挙のように大選挙区制なら、あまり問題にならないのですが、国政選挙のように小選挙区制だと、この嫉妬と妬みがどんどん膨張されていくような気がしてなりません。1人しか選ばないからこその悲劇とも言えるでしょう。

常に「選んでくれ」という意識があるからこそ、「見ていてくれ」という意識につながります。政治家は承認欲求の塊と言われるのも無理はないですね。私はそうは思いたくないのですが。世間の批評もそれはそれでわかる気がするのです。

「選んでくれ」の意識が様々なコストを生み出します。選挙が近くなれば、あちらこちらにポスターがベタベタ貼られますね。もちろんお金がかかっています。様々な会合に呼ばれもしないのに行く現象も理解できますね。朝、駅に立って、政党名や個人名を言ってるだけの政治家が発生するのも無理はないですね。

全ては、やがてくる選挙という「選んでもらう」儀式のためのものなのです。こういう行為を批判するのは簡単ですが、批判の前になぜこの人はそこまでして知ってもらいたいと思うのだろう?と考える癖をつけると、いろいろと見えてくるものがありますね

 

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