このように、選挙というものは入り口としては大変大きなハードルなのです。どうやって政党内部に入って候補者として認めてもらうか、また選んでもらっても今度は選挙区で他候補と争わないといけないわけです。
近時、就職がないから議員にでもなるか!といった論調をよく見かけます。これはこれで私はありだと思いますが、政党人でなく最初から無所属となると、これはかなり厳しいです。国政や都道府県レベルではほぼ無理とみて良いでしょう。先ほど書いた構造の理論で考えると、有権者数が多い以上、より大きな構造になるのは無理もない話で、その中で当選はまず無理です。
市町村レベルなら、まだ可能かもしれませんが、各自治体の選挙の結果を見てみますと、実は無所属枠というのは、その得票数で見ると、一定の枠で収まっていることがわかります。三鷹市で言いますと、政党に全く関係のない無所属の人の票数を集めると、多くても8000票が限界でしょう。つまり、この8000に食い込むために、「新たに」票を築く必要があるわけで、いわゆる風で当選なんていうのは、所詮は夢物語なのです。
このように、政党人であろうが無所属人であろうが、ハードルが高い以上は、敬遠されてむしろ当然でしょう。景気下降サイクルにおいては、みんな自分の生活を守るのに必死なのです。今の職を投げても政治家になろうという人は今後は出てこないでしょう。
このことは、政治業界の寡占状態を生むのではないか?と危惧しているところです。新たななり手がどんどんいなくなる以上は、現状の政治家がそのまま踏みとどまるのはむしろ当然の流れで、2015年の統一地方選で無投票の地域が続出したのも理解できますね。
政治業界の寡占状態が進行すると、どういう事態が考えられるでしょうか。
国政、地方問わず、政治がどこか他所の世界の出来事として捉えられていく風潮が広まるのではないか?と私は考えています。2015年6月現在、国政ではいわゆる新安保法制が議論されていますが、みなさんいかがですか?どこか他所の世界の出来事と捉えていませんか?面白おかしいことは、たまに深夜のニュースで見かけるが、国会はまたわけわからんことやってるなぁ…でおしまい。それ以上は、深く知ろうとはしない、頭の中は今の会社に踏みとどまれるかでいっぱい、今月のノルマ達成が厳しく頭を抱えている…
地方議会レベルはもっと悲惨でしょう。そもそも誰が議員かを知らない、いわゆる定例会がいつ開かれているかも興味がない、市長や議長の名前も当然知らない…
ただでさえ、こういう状況があることは否定しづらいですよね。さらに政治業界の寡占状態が進むと、これがより悪化するわけです。
政治は生活に直結する大切なことなのに、そこに目を向けられる「余裕」が無くなって行く、そんな時代ではないかと思えてならないのです。次の統一地方選は2019年ですが、ひょっとしたら都心部でも無投票の事態が続出するかもしれません。
政治家は政治というステージでダンスを踊り、聴衆はゼロ、ダンスの会場の外では多くの国民がただ通行しているだけ、下手するとダンス会場がそこにあることすら知らない…こんな未来が目の前に迫っているような気がしてならないのです。
つまり、民主主義ではなくなっていくのです。政治家と有権者の距離がどんどん広がることに対する危機感を感じている政治家は私だけでしょうか?
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