2015年6月25日木曜日

与党議員と野党議員の特質を考える

<三鷹市議のブログより>

予算編成の権限がなく、しかも政治家特有の庄屋性に悩まされる議員はどういう結末をたどるでしょうか。

最初から、二元代表制の有り様を重視し、市長に対しチェックすることが重要であるという議員は、いわば庄屋性を捨てる選択を迫られます。

一方、庄屋性を重視し、権力発生のメカニズムに従うなら、与党化する選択を迫られることになります。

地方の選挙で、自民・公明vs民主という構造だったのが、いつの間にか民主が与党化するという現象はままあります。先ほどの選択肢のどちらをとったことになるか、半田ならではの公式だと後者となります。

国政に擬え、これを批判するのは簡単ですが、庄屋性を改めて考えてみますと、これは無理もないだろうなと近時の私は考えるようになってきています。

そもそも、予算編成の権限がないのに、地方議員が「実績」で勝負するのは、最初から無理な話なのです。そこで、どのようにしたら、ある現象を「実績」とできるかを考えることになります。首長側としても、選挙応援の見返りに予算編成の際には、支えてくれた議員の主張を重視するのは当然でしょう。

いわばこれら与党化現象は、民主主義的契機を重視した結果といえます。多くの住民要望が寄せられます。庄屋性及び選挙の特質から真剣にこれに応えたいはずで、首長との距離を縮小する選択を迫られるのは無理もないですね。

一方、全く逆に考えたらどうなるでしょうか。

庄屋性を捨てる結果、住民要望にはご期待に沿えませんということになります。そして、首長の行為を監視する機能を重視することになります。

本来、税金は取られ損なのです。取られた税は、取った権力者が自由に使えるのです。もちろん義務的経費に現れるように必要なものは確かに必要ですが、実際のところ「やりたい事業をやる」という側面は否定できませんね。

本来、自由に使いたいはずのお金を強権的に取られるのですから、この側面から考えると、首長を監視するという発想は、いわば自由主義的契機を重視しているといえます。

結論を先に書きますと、これはどちらが正しいとかそういうことではないのです。あえていえば、どちらも正解なのです。大切なのはバランスです。どちらか一方に偏るとどうなるでしょうか。与党議員ばかりだと、いわば財政の膨張に歯止めがかからない事態が考えられます。逆に、チェック議員ばかりだと、これはこれでかなり嫌な感じですね(笑)。ひょっとしたら、予算案は否決の嵐かもしれません。
 
これはあくまで私個人の感覚なのですが、与党議員7割、チェック議員3割くらいがちょうど良いのかなと感じているところです。少数の議員は耳に痛いことを言う、多数の議員は住民要望実現のために首長との距離を縮める、こんな感じじゃないでしょうか。

お住まいの自治体議会を見るとき、与党議員なのか、チェック議員なのかで区別すると、いろいろ見えてくるものがあると思いますよ。


 

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