2015年6月24日水曜日

なぜ二元代表制なのに与党野党現象が発生するのか?

<三鷹市議のブログより>

一般論としては、二元代表制の特質から、議会側に与党野党体制が生じるのはおかしいとの論評はあります。

一般論は一般論として、ここでは実際を見てみましょう。

先に、議員の庄屋性について書きました。また、選挙の本質は「選んでくれ!」にあるとも書きました。

次に自分を選んでもらうために、自分の庄屋力を有権者に理解してもらう必要が出てくるのです。「あぁ、あの議員さんにお願いすればいいんだな」という有権者側の理解を欲しいわけです。しかし、一方で議会側に予算編成権はないので、庄屋力を発揮するためには、予算編成権限のある首長に近づくことがどうしても必要になってくるのです。

縁もゆかりもない首長に近づくのは、なかなか容易ではありません。ならば、最初から担ごうじゃないかとなります。結果として、議会側から首長を担ぐことが増えてくるのです。考えてみると、首長選挙も◯◯党推薦とか出てくるので、同じ◯◯党の議員さんがいたら、距離感が縮まるのは当然かもしれないですね。

一方、国政では議院内閣制と言われています。ここから先は学者の皆さん方に「バカ?」と言われるのを承知で書きますね。

私は、二元代表制も議院内閣制も、その本質部分においては、なんら差はないと見ているのです。その本質とは、権力者を選び出す過程です。どちらにしろ、多数派側で権力者を選出しているわけです。

おいおい待ってくれ、首長は選挙で選ぶのに内閣総理大臣は違うだろ?…はい、その通りですね。

ここが唯一の差異と言っても良いでしょう。議院内閣制の場合は、多数派に入らないと話にならないですね。民主党なのに、自民党の中に入って総理を誰にするかなんて話し合いするわけがありません。

一方、首長の場合は、とにかく選挙という形式を経由するのです。複数政党の推薦という現象は、ここから考えるとわかりやすいのです。つまり、議員の庄屋力云々を考えますと、担ぎ手になりたいわけですが、議院内閣制は過半数とったもの勝ちですから勝ち負け組がはっきりしやすいことと比べると、負け組にならずに担ぎ手になることができるのです。私は、二元代表制の最大の特質はここにあるとすら考えています。

結果として、どういうことが発生するのでしょうか。

たまに、批判的な報道がありますように、多くの政党相乗りの首長候補誕生となるのです。よく国政レベルで民主は自民と敵なのに、地方レベルだと手を組んでおかしいという論調を見かけますが、議員の庄屋性や「選んでくれ」という選挙の本質などを考えると、実は相乗り現象こそが自然に見えることなのです。

政党は極端に言えば関係ありません。首長との距離感がすべてなのです。いわゆる大連立体制は権力発生のメカニズム及び議員の持つ特質を考えると、起こるべくして起こっている現象なのです。

こう考えると、担ぎ手連合がいわば与党化するのは無理もない話で、その意味で議院内閣制も二元代表制もその本質は変わらないと見ているのです。

政党は極端に言えば関係ありません。首長との距離感がすべてなのです。いわゆる大連立体制は権力発生のメカニズム及び議員の持つ特質を考えると、起こるべくして起こっている現象なのです。

こう考えると、担ぎ手連合がいわば与党化するのは無理もない話で、その意味で議院内閣制も二元代表制もその本質は変わらないと見ているのです。

 

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