2015年2月1日日曜日

36年ぶりの村長選を制した69歳新人村長の“決意”


DIAMOND ONLINEより】
 

<住民主体でないと活性化はならず 無投票でトップが決まり続ける弊害>

地方創生を掲げる安倍政権は、4月の統一地方選も意識してか、様々な取り組みを打ち出している。自治体支援の体制強化や新型交付金の創設、地域再生計画の認定などだ。

しかし、地方創生の主役(担い手)は国(政府)ではなく、地方である。それも自治体ではなく、1人ひとりの住民だ。国や自治体任せで疲弊した地域が活性化できるはずはない。地域住民自らが主体となって動き出さなければ、どんなに予算を投じても再生への道は切り開けるものではない。

そうであるからこそ、首長や地方議員の役割は重要だ。いつまでもお任せ意識や惰性、しがらみなどで漫然と選んでいるわけにはいかない。

4月の統一地方選挙を待たずに各地で首長選や議員選が行われているが、おととい(125)投開票された小さな村の村長選を紹介したい。36年ぶりの村長選となった新潟県弥彦村である。4選を目指す現職に挑んだ新人が、700票近くの差をつけて初当選した。

新潟県のほぼ中央に位置する弥彦村は、人口約8500人。「弥彦神社」や「弥彦競輪」で知られる観光と農業の村だ。競輪の収益が村の財政を下支えしてきたこともあり、「平成の大合併」とは距離を置き、村は単独路線を歩んでいる。

そんな弥彦村では1979年の村長選を最後に、8回連続して村長選が無投票となっていた。立候補者が1人しか現れず、選挙なしで村のトップが決まっていたのである。それが当たり前のように受け止められていた。そこにはこんな要因があった。

新人同士の一騎打ちとなった1979年の村長選は、村を二分する大激戦となった。両候補が掲げた政策に大きな違いはなく、人柄や人間関係、しがらみ、地縁などを競う典型的なムラの選挙となった。家族内でもどちらを推すかで揉め事になるなど、ドロドロの争いとなってしまった。

このため選挙後も村内に大きなしこりが残り、住民の間に遺恨やトラウマが生まれたのである。競輪の収益で財政が潤沢だったこともあり、村には大きな課題もなかった。こうして村内に村長選挙そのものを嫌がるム―ドが広がっていった。

 1979年の激戦を制した村長は、2期目を無投票でパスし、その任期切れ直前に急死した。そして、急遽、後継に担ぎ出された村の幹部職員が無投票で新村長に。以来、一度も選挙せずに4期務め上げ、助役(元村議)にポストをバトンタッチした。現職の大谷良孝さんだ。

大谷村長も一度も選挙戦をせずに3期務め、今年1月には無投票で4期目に突入するものと予想されていた。「これまで通りで村はうまくいくはずだ」と、暢気に構えている人が多かったからだ。

 
<母親の介護のためにUターン 69歳新人候補の決起>

と言っても、弥彦村を取り巻く環境は大きく変わっていた。少子高齢化や人口減、過疎化といった諸課題と弥彦村も無縁ではなかった。それどころか、頼みの綱となっていた競輪事業は明らかに下り坂になっていた。もはや、これまで通りでいられる時代ではなくなっていたのである。

昨年7月に村長選に名乗りを上げる人物が現れ、弥彦村内は大騒ぎとなった。なにせ56歳以上の住民しか、自分で自分の村のトップを選んだ経験がないのである。むしろ、村の将来に関する政策論を聞いたことがないという村民の方が多かった。民意を示す機会も問われることもないまま村政が続けられていた。新人候補の出現にそれまで静まりかえっていた村内が、にわかに活気づいていった。そして、とうとう36年ぶりの村長選が実施されることになったのだ。

弥彦村長選の注目点はそれだけではなかった。名乗りを挙げた人物の出馬に至るまでの経緯も、意味深かった。今の日本社会の姿を投影し、かつ地方再生へのヒントのようなものが見え隠れしていた。

新人候補は小林豊彦さん、69歳。弥彦村出身の小林さんは、都内の大学を卒業後、日本経済新聞社に入社。新聞記者として活躍し、日経リサーチ社社長などを務め、2005年に退職した。独り暮らしの母親の介護のために夫婦で実家に戻り、コメづくりなどを始めた。

60歳でUターンした小林さんは、故郷の将来に強い危機感を抱くようになった。「独立路線を守るには、村の財政力強化が急務」と考えたのである。「村の収入増大策と支出削減策」が不可欠で、村民が一体となって挑戦することが大事だと考えた。そのためには「開かれた弥彦村でなければならない」と思い、選挙戦で政策を主張し合って村長を決めることが、何よりも重要だと考えたのである。

 
36年ぶりの村長選で新人が勝利 閉塞感に新たな息吹を吹き込めるか>

小林さんは無投票選挙をいつまでも続けるべきではないと考え、村長選の候補者擁立を模索した。しかし、若い世代に決起を促したがうまくいかず、自らの出馬を決意したのである。

こうして、69歳の新人候補が4期目を狙う58歳の現職に挑むことになった。新人候補が現職よりも11歳も年配で、通常の首長選とは正反対の構図であった。小林さんは「村民主役の村政の実現」を訴え、草の根の選挙戦を展開した。木質バイオマス発電の導入や農産物の直売所の開設なども掲げた。こうして36年ぶりに村長選が実施され、村の将来像などについて村民が語りあうようになった。

村長選の結果は、新人の小林さんが3204票で現職の大谷さんが2508票。投票率は83.08%ときわめて高い数値となり、新人村長の誕生となった。初当選した小林さんは69歳。しかも、高校卒業後に故郷を離れて長らく社会人として活躍し、母親の介護のためにUターンした人物である。

蓄積された見識と人脈、経験、そして長年の社会人生活で培われた手腕といったものが、閉ざされた地域に新たな息吹を吹き込むことにつながるのではないだろうか。


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