元三重県知事の北川正恭早稲田大学教授の最終講義が2月4日にあった。今回は自らの政治人生を裏も表も振り返りながら今の政治や行政について語っていた。とても参考になると同時に指摘されていることは今でも十分に必要なことだった。講義の最後には、初めて見る涙を見せ、聞いている方も「うるっ」ときてしまった。
北川教授は、県議を連続三期、国会議員を連続四期務めた後、地方分権などを進めていたことから三重県知事に立候補し知事を二期務め早稲田大学の教授となっている。所属政党は、当初は自民党で後に新進党。知事時代は無党派としての立ち位置で改革派知事として注目されていたのはご存知のとおり。
講義は、父親の県議がなくなり補欠選挙で出馬。叔父も国会議員という政治家の家系で選挙自体は安泰という状況でスタートだった。何回も選挙を行い、その時々のやり方や狙い、 中には今なら選挙違反? というような裏話をちりばめながら話され、笑いとともに話題は多方面にわたっていた。改革派知事のイメージではないことまでも話されていたが、どんな時でも重要なことは何かを示す感覚はさすがだと思えた。その中でも印象に残っているのは以下のことだった。
■「誰のため」に視点。間違えたらやり直せばいい
政治家としての最初の仕事は、地域の側溝を直すように行政に掛け合うことで、まさにどぶ板政治をやってきた。当時は、遠いところにある県庁に行かなくても議員にやらせておけばいいといった小間使いが議員との感覚が有権者にも議員にもあった。県庁の職員は、税金を徴収し分けるという感覚で誰のために感覚がないという状況だった。
知事に就任し、「誰のため」が明確になる生活者起点の行政改革を掲げ、事務事業評価による行政改革を始めた。基本的な考え方は、行政も間違える、間違えたら直せばいい。そのためにPDCAサイクルを回せばいいとの発想だった。そして、県民を「納得させる」ではなく、県民が「納得できる」ようにすることが重要とされていた。生活者である県民の視点で考えてみるといった、当たり前といえば当たり前のことを始めたのだ。このことは今の行政でも十二分に参考になる発想だ。
しかし、事務事業から始めたことは失敗だった。政策や施策など理念や方向性の評価からやるべきだったと話されていたのは、現場にいる身としては参考になることだった。
■原発を白紙に
原発の立地計画を白紙にしたことも参考になった。30年間動いていなかったため、地域を分断したままだった。そこで県の統括者として責任があると判断して、国と住民と電力会社で毎晩のようにダイアログを行い、時に県はバイプレイヤーで結論を導くことはせずに意見集約への裏方仕事に徹した。その結果、推進か凍結しかなかった当初の結論が白紙にしてくれとなったとされていた。
この時、じつは国も全国の立地予定のなかから予定地を減らすことが必要となっており、国も喜ぶ結果となった。大切なのは、誰が県民を守るとの意識を持てるかどうかだ。立ち位置を変えればできることだ。
このような結果を導くのは、本来は政治の仕事。行政がPDCAを回すようになっても、政治は回っていない。だから、政治家が公約としてのマニフェスト掲げ、当選した後、マニフェストを評価し改善していくことで政治も変わると話されていた。
■ダイアログ
このなかで重要なのはダイアログだろう。最近、北川教授が所長を務めるマニフェスト研究所の研修会などでも良く行われていることで、複雑な問題に対しては、関係者が互いを尊重し互いの意見を理解したうえで、ともに考え解決策を出そうといったコミュニケーションの手法だ。参加者が自分の立場や見解に固執しないことが大前提となる。
米国の物理学者、デヴィッド・ボーム博士が中心になって開発されたもので、語源は、「意味が流れる」ということを示す「ディア・ロゴス」というギリシャ語。「テーマを共に探求するプロセス」と定義されている(HUMAN VALUE より)。参加者が互いの意見の正当性を言い合い、説得し結論を導く「ディスカッション」とは違い、時間はかかるが、多くの参加者がより納得がいく結論を導き出せるとして注目されている。
武蔵野市でもいろいろな課題がある。そのさい、説明したからとかすでに決まっているから、ではなく、何が問題なのか、どこに納得できないか。行政も市民も「ダイアログ」を使って話していくことで、じつは同じことを考えていたということになるかもしれない。あるいは、互いの少しだけ発想を変えることで、ベストではないかもしれないが、ベターな結論になることもあると思う。どちらかだけのベストな結果では、どちらも不幸だ。「ダイヤログ」は、武蔵野市でも取り入れていくべきことだ。
■できない理由を言うな
北川教授とは、2003年に早稲田大学教授に就任した後、社会人向け講座を開設したさいに受講生として授業を受けて以来、お付き合いをさせていただいている。政治改革運動として北川教授が立ち上げたローカルマニフェスト推進議員連盟の事務局長として、最近では月に一回は話をさせていただいている関係だ。常に課題を突き付け、できない理由を言うと、なぜや?と言い返され、発想を変えろ、突き破れとできない理由を言うなと叱咤されている。政治や行政への考え方、具体的な取り組み方など多くをいまだに教わっている恩師でもある。
今回、定年となり早稲田大学の教授は退官となるが、まだまだ活躍をしていただきたいし、世の中にとって必要な人だ。最終講義の後、関係者によるパーティで、塚本早大教授が、これで一線を引くのではなく、一線を超えて活躍していただきたいと挨拶していたが、同じ思いだった。
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