<プランを立てるのが市長。決定するのが議会>
市長と議会には異なる役割があります。市長は市役所の長として予算や条例の案を作ります。しかし、その案の通りに予算を執行(使う)するためには、議会の議決が要ります。案を作って執行するのは市長ですが、それを決定するのが議会なので、議会が議決しないことには市長といえども予算執行はできないのです。
市長の予算の案を正しいとするか、それともこの案はダメだとするかを決めるという重大な責任を果たすために、議会の審議があります。だから議会の審議はきわめて重要です。そこのところをちゃんとできるようにするために議会の改革に取り組んでいます。
<議会の審議>
議会は、予算案というプランの作成者である市長に、さまざまな角度から質問をします。プランに不備はないか、それともそのプランは正しいのかどうか、意見が異なることもあります。少し手直しするだけでよいと判断したときは修正して議決、まったくダメだと判断すれば否決ということにもなります。その結果はいずれにしても議会の責任に委ねようというのが、議会制民主主義です。ただし、その決定は、松阪市の政策水準の高低となり、その結果は市民の生活に関わってきます。議会の議決はそれだけ重いものですので、結果を導き出すための審議はことのほか重要です。
ですので、議会の審議は、たんに市長への質問だけではなくて、議員間の議論や、さまざまな専門家の意見の聴き取り(参考人聴取)や市民の意見を聴く公聴会がワンセットとなって構成されています。
それらの仕組みが使いやすいよう、大人数の本会議より、委員会に重きを置いた制度設計がなされています。
議会は、市長よりも強い権限を持った、自治体の意思を最終決定する場であるので、これらの制度を十二分に活用して真摯に議論を行うことが議員に課せられた責任ということになります。
<市長と議会>
戦後の自治体議会の制度のモデルはアメリカです。アメリカでは議会の役割がよりはっきりしていて、議会が議会の責任において市長案を修正するのは当たり前となっています。
日本では長らく議会が市長に寄りかかり、議会として何も考えず市長の案に賛成だけする“無責任与党”と化していました。
いまの松阪市議会では市長案を否決したり修正したりすることも多くなりましたが、これもまた責任ある議決かというとそうではありません。なぜかというと、上に示したような仕組みをフルに活用した審議にはなっていないからです。
結局はこういうことです。「市長、議会が賛成できるような案を出してこい」と言っているようなもので、あいかわらず責任は市長に押しつけ、議会自身が賛否に責任を負う審議はしていないということになります。
そこから脱却できれば、市長もたとえ議会に否決されても、議会の決定は重いとしてその決定に服し、議会の決定に文句を言わなくなるのではないでしょうか。自治体の決定に対する責任は市長でなく議会にある(議決責任)という制度本来の自治体運営ができるようにしなければなりません。
http://blog.livedoor.jp/kaiju_matsusaka/archives/52165758.html
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