<三鷹市議のブログより>
日本で一番偉い人は誰でしょうか。長男に聞いてみたら、答えは「内閣総理大臣」と来ました。
三鷹市で一番偉い人は誰でしょうか。長男は今度は、「市長」と答えました。
議会人の端くれとしては、いやいや議長じゃないの?と言いたくもなりますが、それはさておき、子どもでも権力者のイメージというのはあるのだなぁと改めて実感させられました。親バカと言われればそれまでですが、ちゃんと言葉を覚えられて偉いね!ともちろん褒めてあげました。
行政権だの立法権だの三権分立だの、難しい話はさておき、この両者が国及び地方の権力者というのは正解とみて良いでしょう。
行政国家現象という言葉がありますが、これだけ膨大な予算を編成するわけですから、もはや議会はただの追認機関であるとすら言えるかもしれません。議会サイドでゼロから予算案編成というのは、現実では考えられません。
さて、内閣総理大臣を選ぶ際によく使われる言葉は、議院内閣制ですね。簡単に書くと、国会で多数派の一番偉い人が内閣総理大臣になるわけです。建前としては、議会が行政権を監視し、信認を失った内閣はもうダメですよとなります。とはいえ、議会側から、「あなたはダメよ」というケースはなかなかないですね。無理もありません。多数派の一番偉い人に「あなたはダメよ」なんて、普通に考えたら言えるわけがありません。会社を想定してみてください。極端な例ですが、平社員が徒党を組んで社長に「あなたはダメよ」と言うわけがありませんね。まぁ、感覚的にはそれと同じこととみて良いでしょう。
一旦選ばれたらもはや最後、あとは権力者たる内閣総理大臣の意向に沿うように、多数派の過半数により追認をするのが国会とすら言えるでしょう。
では、地方の首長はどうでしょうか。首長を選ぶ際によく言われるのは、二元代表制ですね。
先ほどの議院内閣制は、内閣総理大臣は国民が直接選挙で選ぶわけではありません。これに対し、地方の場合、首長の選挙があるのです。もちろん地方議員も選挙があります。首長も議員も、住民が選挙で選び、両方ともに市民代表であり、対等の立場でお互いに牽制し合うと、教科書的には説明することになります。
ところが現実はどうでしょうか。
三鷹市の例を出しますと、現市長は、自民党・公明党・民主党の支援を受けました。この3者は三鷹市議会で過半数を持っています。
先ほどの議院内閣制と比較してみてください。
実は全く同じなのです。多数派の中から権力者を選ぶという意味では、実は議院内閣制も二元代表制も、実態面では全く同じとすら言えるのです。実態が変わらないのなら、首長選挙はなくても同じですね。
一方、地方議員の方々の中に、二元代表制の存在意義を重視し、地方議会をどう機能させ首長に対抗する組織にするかを真剣に考える方がいらっしゃいます。現に以前の私はそうでした(今は違いますが)。
しかし、議院内閣制、二元代表制というシステムの違いはあるものの、両者の根底は権力者選出作業という次元では同じであり、その意味で誰が権力者かが確定したら、実はそこはスタートであると同時にゴールですらあると言えるのです。
首長与党という言葉があります。与党とは、要は支える人とでも理解して頂ければ結構です。二元代表制を重視すると、地方議会に与党も野党もない、議会は一致して首長を監視すべきだ!となるのでしょうが、先ほど書いたように権力者は選んだらおしまいという側面を考えると、実は地方議会も与党と野党という現象が発生するのは致し方ないことなのです。
例えば、誰が見てもおかしな条例を首長が議会に提案したとします。二元代表制を重視するなら、議会は否決となるのでしょうが、権力者選出作業の側面を考慮すると、私たちの中から選んだ権力者が決めたのだからと追認することになりますね。
こう考えますと、国会であろうが地方議会であろうが、現実としては、権力者の追認機関というのが実態なのです。
地方議員の方は、二元代表制を重視するという理念を掲げても、現実には限界があることを誰もが経験なされていることでしょう。議院内閣制と比較してみますと、実は議院内閣制も二元代表制も同じであるということに気づくと、一種の冷めた達観の域に達することでしょう。
議院内閣制であろうが、二元代表制であろうが、権力者選出作業の形態が若干異なるにすぎないと捉え直すと、実は国会も地方議会もなんら変わらんと言えるのです。
http://ameblo.jp/handanobuaki/entry-12086790315.html
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