2015年4月22日水曜日

「そもそも論で地方議会を考えよう」

<会津若松市議のブログより>

表記の通り、自治日報より「議会」欄への原稿の依頼があり、下記を投稿した。

「そもそも論で地方議会を考えよう」                 

 「議会はかわりましたねぇ」と(会津若松市)議会事務局長のHさんは感慨深く言った。この場面は、本年2月17日の政策討論会第1分科会(=総務委員会)終了時の発言。

 会津若松市議会では、市民との意見交換会を市政に関する「問題発見の場」と捉え、多くの市民意見を起点とし、それを政策に練り上げるために政策討論会を設けている。各常任委員会を中心に設けられているわけだが、総務委員会は第1分科会として「本市財政の持続可能性と事業・サービスの調和について」というテーマで、現在①財政の持続可能性と②自治基本条例の2つの研究をしている。

 財政は、継続的に関西学院大学の小西砂千夫先生にご教授願い、また自治基本条例では北海道大学名誉教授の神原勝先生を昨年お招きした。

 財政について、「財政計画と長期総合計画のとの連動」「財政調整基金の考え方」「臨時財政対策債について」「新地方公会計について」など14の論点で委員である議員同士が事前に意見を出し合い、議員間討議を深めてきた。その総まとめをするために、2月11日祝日ではあったが小西先生においで願い、講義と意見交換をした。

 そして、前述したように2月17日に財政について最終的なとりまとめの分科会が開かれ、H局長の“感慨”になったものである。H局長は、この3月で定年を迎えたが、私が初当選した平成7年当時は議会事務局職員で、その後市長部局に戻り4年前局長として「戻って」きた。議会改革以前の本市議会の様子も知っているので、議員同士が真剣に政策論議をしあう姿をみて、定年前に感慨深さを感じたものと思う。

 昨年、地方議会の不祥事が続発しテレビ局も連日のように“面白おかしく”取り上げた。私も巡り巡ってテレビ朝日からお声がけがあり「ビートたけしのTVタックル」に出演した。番組最初に各地の不祥事のVTRが流れ、それを受け当のたけし氏が「極論言えば、首長と官僚さえいれば(議会は)必要ないんじゃないの」との発言があった。

 私は、番組途中で民主主義の根幹の仕組みとして議会の役割はきちんと反論したつもりだが、マスコミは住民自治や住民福祉の向上のために地道に活動している地方議員や議会の活動はあまり報道しない。従って、議会は何をしているかわからないと議会不信や無用論が広まってしまい、たけし氏の発言のようになってしまう。

 首長側からの発信のマスコミ取り上げは多いが、それに対し、例えば定例会閉会後に議長が審議内容を総括的に記者会見をして伝えるとか、市民との意見交換会(他に名称は報告会・懇談会)など、議会側から積極的なマスコミ対策も必要と思う。そして、その「成果」をもっとアピールすべきだと思う。

 しかし、議会側にもまだ反省点は多々ある。

 一例をあげると、議長や副議長選挙の際、執行部側が全員議場に参集するというのもその一つ。私の推測だが、全国の議会の3/4以上がこうではないだろうか。議会の招集権者は首長なので、当初首長が議場にいるのは仕方がないが、仮議長が決まり休憩を宣すれば首長はいなくていい。そもそも執行部側が議場にいるのは、議会側が要請し説明員として出席している。議長、副議長選挙において説明の必要もないのに出席要請するのがおかしい。

 大体、議場に出る当局者は、その自治体において一番高い給料・報酬をもらっている人たちで、その人たちを用もないのに議会が拘束することは、税金の無駄使いの最たるものといえよう。また、臨時議会などで、その提出案件の関係部局長だけでなく、本会議なら必ず当局側(首長部局以外も!)全員出席が慣例となっている議会もあるようだ。(議場に執行部側も出席していないと議会が成り立たないという思い込みからか?)

 何にでもいえることだが、慣例で思考停止にならず、「それは一体なんのため」という“そもそも論”で考えることが重要だと考える。繰り返すが、議会不信・無用論がまだまだ根深い地方議会においては、尚更に。


 

 

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