朝日新聞・天声人語が「地方議員をどう選ぶか20150326」で流山市議会の松野豊議員のブログを取り上げ、その中で“有権者改革”という言葉を用いていた。松野氏は議会改革を日本の中で先導した議員として名高い。
筆者はこれを川口市の市民団体が発行する「議会改革のブログ」で読んだ。しかし、瞬間、筆者はこの言葉に相当な違和感を持った。
国民、住民、市民等について、意識改革という言葉はマスメディアには良く登場する。おそらく今回の言葉も有権者の(政治)意識改革との表現と推察される。それが“有権者改革”に圧縮されたのは、字数制限もあるだろうが、“議会改革”との対応をとった表現とも感じた。しかし、“有権者改革”とは耳慣れない言葉だ。
天声人語は次の様に云う。
「昨今、地方議員には逆風が吹く。それでなくても何をしているか見えにくく、遠い存在と思われがち。どう選べばいいのか、住民が困るのも当然だ…松野さんは「有権者改革」が今後は必要という。議会や役所を変えるだけでは民主主義の質は高まらないと思うから。特に下がり続ける投票率を気にする」。
早速、「有権者改革」で、ググってみたが、天声人語で紹介された以外に松野氏自身の発言は見出せなかった。
先にも述べたように、有権者改革は議会改革と並べたものだ。しかし、議会は職業に関わるものであり、当事者も限定される。ビジネス(改革)と同じで、一つの組織体として存在する。しかし、有権者は、職業人として日頃は仕事に勤しみ、選挙の際に投票し、後は当選者に信託するのだ。もとより、政治団体等に所属する人たちを除いて単なる個人だ。これが改革の対象になるのだろうか。
松野氏は、天声人語で引用している「統一地方選挙!良い候補者選び10の基準」の中で次の様に云う。「地方統一選での投票率は、年々低下している!また、昨年末の衆院総選小選挙区の投票率は過去最低の52.66%であった」。
「投票は、義務ではなく権利(参政権(憲法第15条))、主権者が代表者に権利を信託する行為だ。投票率50%以下で当選した政治家が「本当に民意を反映できるのか?」。一方、白紙委任をして、後から文句を言う有権者は「公共を担う市民の一員として、健全と言えるのだろうか?」。
「しかし、「誰に投票したら良いのかワカラナイ…」ということもあり、投票の基準が明確にして、投票率の向上を図りたい。そこで、市議会議員の視点から「候補者を見極める基準」「候補者に求められる資質」をまとめた。これは、周囲の人と自分の街の将来や選挙について話し合うきっかけを提示することが目的だ」。
松野氏は“有権者改革”とは云っていないようだ。本人に確かめて使っていれば別だが、天声人語が松野氏のブログの内容を簡潔に紹介し、まとめて“有権者改革”としたのなら、ジャーナリズム特有の誇大表現と考える。天声人語にあっては、自らは有権者より優越し、有権者を啓蒙する役割を担うという発想が潜んでいるように思える。
松野氏の「10の基準」に戻ろう。
この基準も、それに続く、駄目な候補者のパターンも、それぞれ尤もで有り、読み物としては有益だ。しかし、実践的かと云えば、そうではない。先にも述べた様に、また、筆者がそうであった様に、投票日、投票所に行ってからポスターの掲示板を見て、投票先を決める有権者も少なくない。
『新顔と情報を住民へ提供する議員を比較~直観による一票の決断150316』
そうでなくても、日常、仕事に多くの時間を割き、その他は、細切れの時間を過ごす一般の有権者にとって、観念的には権利で有り、公的責任を持つことは判っていても、他者に負託するだけの行為に時間を割くことはではない。
また、情報が多くなるほど、選択が容易になるわけでもない。却って迷いが増すことにもなる。有権者は、人間本来の五感を使って判断したいのかもしれない。従って、選択の精度は落ちるにしても、少ない情報で、短い時間の中で判断する方法を、それこそ、16年間の議員生活を活かして提示することも有益な行為と思われる。
改めて確認するが、
議員と有権者は、権力という軸をとれば、立ち位置は天と地の違いがある。議員の職業人としての意識改革及び組織体としての議会改革は求められて当然だ。
一方、有権者個人の意識改革は、あるとしても個人に委ねられ、一群としての有権者改革は言葉として成立しない。
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