【机上の空論に過ぎない?本来の役割を果たす議会はあるか】
前回、あるべき地方議会の姿についての私見を記載したところ、痛烈なご指摘が寄せられた。
いずれも地方議会の実態を熟知する方々で、「机上の空論に過ぎない」「地方議員にそこまで求めるのは無理」「求めるレベルが高すぎて、かえって地方議員になろうとする人の意欲を失わせてしまう」と手厳しかった。
監視機能すら果たせぬ地方議会に政策提言まで期待するのは、そもそも非現実的だというのである。そんな力量のある議員が地方議会にいるはずもなく、不可能なことだと一蹴されてしまった。「書生論に走るのではなく、現実を直視せよ」との厳しいご指摘である。
確かに、お粗末な実態を見続けていればいるほど、絶望感や諦観に囚われてしまうのだろう。それほど地方議会の劣悪化に拍車がかかっている。いまさらくどくど言うまでもないことだ。
しかし、それでも日本は広い。本来の役割を果たすべく日々努力を続けている地方議会も、ごくごく少数ながらも間違いなく存在する。議員間で研鑽と協議を重ね、議会として政策提言をまとめ上げ、さらには条例化まで実現させている議会である。「そんな地方議会があるなんて信じられない」と首を激しく振る人も多いと思うが、嘘ではない。代表的な事例が長野県飯綱町の町議会だ。
「議会は追認機関から脱却し、是々非々で臨まなければいけません。そして、議会として政策提言を行い、2元(執行部と議会)で善政競争する2元代表制の内実化、実体化を目指すべきです」
こう明言するのは、飯綱町議会の寺島渉議長。「学ぶ議会」を合言葉に改革の道を邁進する飯綱町議会の、文字通りのリーダーである。寺島議長は、「一過性や単発の議会改革ではダメです。多分野で継続的に進めることがポイントだと考えます」と語る。
いまや全国でも指折りの活性化した地方議会として知られる飯綱町議会だが、本格的に議会改革に取り組むようになったのは、つい7年ほど前のことだ。それもある事件がきっかけで、早い話が改革に腰を上げざるを得ない立場に立たされたからだ。当時の飯綱町議会のレベルは、平均以下だった。
長野県飯綱町は、2005年10月に牟礼村と三水村が合併して誕生した。長野市の北部に位置する農業の町で、人口は約1万2000人である。
小規模自治体同士の合併協議は、すんなりとは進まなかった。互いの本当の財政状況を探り合う展開となり、疑心暗鬼が広がった。旧牟礼村側は相手の水道事業を不安視し、旧三水村側は向うの第三セクターの経営状況を疑った。双方ともに相手の不安を打ち消す発言を繰り返し、両議会もそれにお墨付きを与えた。
【飯綱町議会の改革は待ったなし 6つの議会像と8項目の課題に集約】
こうして対等合併が成立したが、その直後である。とんでもない事態が勃発した。旧牟礼村の第三セクター(スキー場)の経営破綻が表面化し、損失補償していた飯綱町が金融機関に訴えられてしまったのである。町は全面敗訴となり、約8億円もの負債を肩代わりするはめになってしまった。
実状を何ら知らされていなかった住民は皆、憤激した。怒りの矛先は町のみならず、チェック機能を果たさなかった議会にも向けられた。「議会はいったい何をやっていたんだ」との批判が集まり、議員は行く先々で罵声を浴びることになった。その議員たちにとっても、3セク破綻は「寝耳に水」のことだった。
住民から厳しい視線が注がれた飯綱町議会は、いやでも改革に取り組まざるを得なくなった。不幸中の幸いと言えたのが、議会運営や議会文化などを異にする2つの議会が1つになったばかりという点だった。議会運営のルールを新たにつくり上げるタイミングだったのである。
住民の信頼を失墜した議員は、目の色を変えて学習や研修、視察や自由討議に打ち込んだ。そうした過程を経ることで、すすめるべき議会改革の論点が明確化していった。6つのあるべき議会像と8項目の取り組むべき課題に集約された。議会だよりにそれらを明記した上で全戸配布し、議会改革の実行を住民に宣言(2008年8月)したのである。つまり、議会として住民に改革を公約したのである。
あるべき議会像は、「住民に開かれた議会」「町長と切磋琢磨する議会」「活発な討論が展開される議会」「政策提言のできる議会」といった6つだった。
飯綱町議会は住民に信頼される議会を目指し、具体的な取り組みに乗り出した。まずは住民に信頼されるように努力をするというもので、自分たちの方から住民の中に深く入り込み、住民の生の声に耳を傾けて意見交換することを重視した。そのための工夫を積み重ねていったのである。住民懇談会の開催もその1つだが、ユ二―クなものもあった。
飯綱町議会の議員定数は、2009年10月に18から15に削減された。町は50集落からなっており、議会内で住民の要望を幅広く把握するための新たな取組が必要なのではといった声が広がった。15人の議員がはたして、町のあらゆる分野・階層を代表しているかとの疑問も出された。若い世代や会社員の議員はおらず、議会構成が町民の縮図とはいいがたかった。これでは、政策提言に限界があるのではと考えられたのだ。
【政策提言に住民の力を借りよ 政策サポーター制度を創設】
こうした問題意識から、「政策サポーター制度」なるものが創設された(2010年4月)。発案者の寺島議長は、「サッカーのサポーターを見て、議会でもできないかと思ったんです。政策提言に住民の力を借り、さらには議会への住民参加を進める意味もあります」と語る。住民による議会支援であり、かつ住民と議会の協働による政策研究である。
こんな仕組みになっている。まず、議会側が研究テーマを決める。公募と要請で政策サポーターとなる住民を集め、平日夜間に議員と共に研究と自由討議を行ってもらう。3時間ほどの会議が6回実施され、政策サポーターには日当3000円が支給される。
研究会が終了したら、議員が政策提言書をまとめ上げ、町長に提出するのである。第1回目の政策サポーターは、公募2人に要請10人の計12人だった。「行財政改革の推進」と「都市との交流・人口増加」を研究テーマとして政策提言を行った。
2回目のメンバーは公募3人に要請12人の15人となり、2013年6月から1年間にわたって2つのテーマで研究・協議を重ねた。「新たな人口増対策」と「集落機能の強化と行政との協働」についてである。議員側はサポーターとの会議を元に政策提言書を練り上げ、町長に提出した。
こうした住民との協働による議会の政策提言に対し、執行部側も真摯に対応している。すでに時間外保育料の一部無料化が実現されるなど、成果を上げている。また、議会側も提言するだけではなく、議員提案による条例化も実現させている。昨年9月に可決成立させた「集落振興支援基本条例」である。
飯綱町議会は議会・議員が住民の中に深く入り込む努力をする一方で、住民が議会に足を運びやすくなるような策も講じている。中学生による「模擬議会」や一般質問を日曜日に開催する「休日議会」、さらには夜6時から開会する「夜間議会」などである。
昨年の6月定例会では、一般質問を夜間に実施したところ、わずか3日間で2013年の1年間の傍聴者数と肩を並べたという。また、飯綱町議会は2014年8月から「議会だよりモニター」を57人に増やした。議員が作成する「議会だより」を議員が各モニターに直接配布し、まずは読んでもらって意見や要望、感想などを聞いたり、議会活動を住民たちの話題にしてもらうということを狙ったのである。
寺島議長は「一人でも多くの住民に(議員個々のではなく)議会の応援団になってもらいたい」と語る。議員個人の活動ではなく、議会として活動を「見える化」し、住民に信頼される議会に変えていこうと懸命なのである。
【「学ぶ議会」と「自由討議」が二大柱 政策立案を果たしてこそ存在意義がある】
ちなみに飯綱町議員の報酬は、月額16万円。年間の議会活動日数は、議員平均で121日間(2013年度)に及ぶ。「学ぶ議会」と「自由討議」を旨とする議会とあって、議員同士の切磋琢磨が当たり前となっている。議場で居眠りしたり、沈黙したままの議員はもはやいないという。
中央官庁のコントロール下に長らくいて、前例踏襲主義に凝り固まってしまった自治体職員に、新たな発想での政策展開は期待できない。住民二―ズに合致した効率的な政策立案を進める上で、議会の果たす役割は重要である。執行部への監視もできない議会は論外であり、政策立案を果たしてこそ議会の存在意義があると思うのである。そして、それは決して絵空事ではない。
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