2015年8月12日水曜日

改革は執行部ではなく議会がやるべき

<武蔵野市議のブログより>

7月29日と30日にマニフェストサミットが開催されたが、改革は執行部が行うのではなく議会こそが行うべきだ、との言葉が印象深く残っている。
 北川正恭早稲田大学名誉教授の言葉。
IMG_8093 執行機関は法律と条令に基づき行うもの。それが自らを縛ることになる条例改正などを行えるのか。議会だからこそ行うべきとの指摘だった。

 また、広聴(タウンミーティングなど)を執行部がやるべきか? 本来であれば、議会がやるべきこと。広聴を行ったうえで、事業や予算の優先順位を決めるべきだ。
 執行部が行う広聴では、自ら行う事業について聞くことになるので、意見が反映されるかは分からない。それこそガス抜きになる。執行部の広聴は危険だ。
 議会が行えば、予算や条例に反映できる。それこそ、二元代表制になるとの指摘もあった。

 北川流の叱咤激励と思うが、この指摘には本質があると思う。


■議会報告会のジレンマ

 議会報告会を実施しても市民の満足度が低い。議会も今のままでいいのかと疑問に思い、議会報告会は必要なのかといった意見を聞くことは多い。
 市民にとっては、決まったことを報告されても、意見の言いようがない、言えるのは文句だけとなりがちとなってしまう。議会の説明責任として報告は必要だが、何のための報告なのかを考えるべきだと思う。

 議会の現状を報告し、次にはこのような課題が起きるから意見を聞きたい。聞いた意見を議会で質問する、条例をつくる。あるいは、執行部と調整し改善を図るなど聞いた後の出口があれば市民側の満足度は良くなるのではないか。対応した結果を再度報告すれば、サイクルが回ることになる。報告会は報告することだけを目的化しないことが重要だ。

 議会報告会を行っていない議会であれば、まず開くことが短期的な目標になるが、その次も考えておくことが必要になる。

■武蔵野市議会の場合

 執行部による改革を否定はしないが、議会こそが行うべきとの指摘には同じ思いを持つ。その改革を行うには市民の意見を聴くことがまず必要。となれば、報告会(この名称が良いかは別の課題)をベースとして行うことが必要になり、行うことを明文化すべきだろう。当然だが、改革は執行機関だけではなく議会についても同じだ。

 武蔵野市議会は議会改革の懇談会が行われており、3日の会議ではこのテーマがあり、上記のことを提案した。
 武蔵野市議会では、公式に報告会などは行っていないが、市民との意見交換は日頃から行われており現実には行われているからだ。多くの市民に知られていないことが課題であり、明文化(条例化)することで実際の活動が広がるのだと思う。議会不要論は、活動が知られてないこともその原因にあると考えるからだ。ハードルは高くない。やるかやらないかが問われているように思う。
http://blog.livedoor.jp/go_wild/archives/52431991.html

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