私の指導教授の著作から会派を考えてみたいと思います。というか、この先生の考え方を深掘りして行ってみたいと考えておりますが、まずは、船橋市議会の現状と照らし合わせて考えてみたいと思います。
地方議会改革―自治を進化させる新たな動き
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からです。
1「与野党関係」を超える視点
北海道栗山町議会、三重県伊賀市議会、三重県議会が議会基本条例を制定した2006年を議会改革の起点と呼んでよい。
私もまさにこのあとの平成19年の統一地方選挙後がポイントだったと思っています。
その翌年の2007年統一地方選挙では、議会改革がその争点の俎上にのぼったことが特徴の1つとしてあげられる(“変えなきや!議会2007” http://www.gikai-kaikaku.netなど)。透明性の向上、議会への住民参加、議会における自由討議なども公約に掲げられていた。その後は、議会改革の裾野が大きく広がった。
船橋市においては選挙の争点というか公約に入れている候補者はいなかったのではないかと思います。
そうした議会改革の息吹を感じる中で、残念ながら相変わらずの議会運営や議会イメージが蔓延していることも事実である。その1つがその議会改革を争点としてもいた2007年選挙後に、各新聞が一斉に当選議員を「与党か野党か」に振り分ける報道をしていたことである。記者たちはどのようなイメージで地方議会の与党や野党を把握しているのだろうか。多くは国会をイメージしているのではないだろうか。本章では、その誤解を解くことを目的としているわけではない。もっと積極的に、与党も野党もないはずの議会において会派は必要か、必要だとすればどのような役割を発揮すればいいのか。
まさに中央の政治記者は、地方議会、地方政治なんてものは国政の下請け機関ぐらいにしか思っていないでしょう。
全く同様に、地方議員も自分の職責が国会議員、都道府県議会議員の働きバチだと思っている者も数多くいますし、さらにはこの後にも出てきますが、首長のファンクラブくらいに思っている議員も少なくありません。
具体的には、討議こそが議会の存在意義であることを確認するとともに、ローカル・マニフェストや会派拘束と討議の関係、さらには首長のマニフェストとの距離を意識しながら、会派と討議との関係を探る、という政治学や行政学では未知の分野についての私見を示したい。今日いまだ一般的ではないが、会派とは政策に基づくものである。そのような会派は討議にどのようにかかわるか、というテーマについて主題的に考えていきたい。
実は、このテーマにたどり着く寸前は、私は先生に会派無用論ってどうでしょうか?と質問していました。
まさに上記記載のごとく討議なき会派運営に辟易していた時でして、前回のブログでも書きました、仲良しクラブ的会派の存在が許し難き事態になっており、私自身は、会派に所属せずで活動をしたい気持ちが沸々と湧いて来ていた時期でもありました。
議会全体が、数年前から「仲良しクラブ」的運営を是とするような部分があり、「民主的」という言葉や「公平性」だとかいう言葉で堕落させて来た経緯もありました。
結果として先生との話をした結果、むしろ会派をテーマにしての研究はまだ深いものが無いということで、ここを一つの研究テーマにさせていただくことにしたのです。
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-12276555661.html
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