2015年2月16日月曜日

働かない議員は交代。

<敦賀市議のブログより>
 
こんにちは!

働かない議員は交代 

鍛えられる民主主義

 議員選挙の投票率が毎回、事実上100%の自治体がある。鹿児島県三島村。薩摩半島の南西約50キロの沖合、三つの離島からなる。人口は先月1日現在375人だが、定数7の村議選が無投票となったことは過去に一度もない。高投票率の秘密を知ろうと訪ねると、本土並みの行政サービスを受けられない逆境の中で、民主主義が鍛えられていた。【和田浩幸】

 3島と鹿児島港を結ぶ村営フェリーで最も近い竹島まで3時間。一番奥の黒島までは5時間強かかる。

 直近の2011年村議選では有権者279人のうち、棄権は寝たきりの高齢者ら5人のみ。投票率は98.21%だった。3期目を目指す現職2人が1票差で最下位当選と次点に沈み、新人がトップ当選するなど新陳代謝も活発だ。ちなみに07年村議選の投票率は98.33%だった。

 「おばあの具合が悪い」。今年の元日午前4時半ごろ、黒島に住む村議会議長、日高重行さん(65)の携帯電話が鳴った。駆け付けると、93歳の女性が息を引き取っていた。

 医師も警察官もいない。船は2日に1往復で、海はしけ、欠航が続いていた。急患用のヘリも飛ばせない。非常時の対応は地区長も兼ねる日高さんらに任される。遺体を保冷剤で冷やし、葬儀の手続きや納棺に追われた。正月3日、ひつぎは船に乗せられ、その船内で島を巡回する医師がようやく死亡を確認。そのまま鹿児島市内の葬儀場へ向かった。

 村役場も鹿児島市内にある。日高さんは言う。「島では当たり前の行政サービスが受けられない。全員が選挙に行くのは、切実な思いを政治に反映させたいからです」

 島は戦時中孤立し、終戦が伝わったのは3カ月後の1945年11月だった。戦後の高度経済成長からも取り残された。電化製品の普及は、24時間送電が実現した74年以降だ。

 竹島には飲食店も商店もなく、欠航が長引けば各世帯が食料を分け合う。国や県の支援なしに暮らしは成り立たない。議員は島民の声を県や国に伝える重い使命を負う。

 選挙が近づくと、島民たちはメモ用紙に候補名を書き、その下に○、△、×の印を付けて当落を予想し合う。「お前は何のために議員になったと?」「世間(本土)との違いをどげん考えとるとかっ」。硫黄島では、働かない議員を島民が取り囲み、怒鳴りつける光景もあったという。

 11年、全島に高速通信網が整い、ネット中継で本土の村役場で開かれる村議会を島で見られるようになった。60代の女性は「頼りにならない人は交代させる」と話す。投票率ほぼ100%の民意が村議会にもたらす緊張感は並大抵ではないようだ。経験者の一人が打ち明けた。「議員は24時間365日、監視されています」

 ◇現職の大山村長、島民が下す厳しい審判

 島民が村長選で下す審判も厳しい。現職の大山辰夫村長(56)は2005年に初当選したが、09年は落選。島を留守にする機会が増え、島民との対話が不足していた、と敗因を分析する。

 大山さんが返り咲いた13年11月の選挙で、鹿児島市の老人ホームに入所する91歳の女性が車椅子で親類に付き添われ、市内の役場で不在者投票に臨んだ。末期の胃がんで字は書けず、しゃべるのも難しい。掲示された2人の候補名を選管職員が指さし、大山さんの名前で指が止まると、女性は無言でうなずいた。「最後の選挙で、どうしても投票したい」と声を振り絞って親類に懇願していた。職員が投票用紙に代筆を済ませると、ほっとした表情を見せた。

 2カ月後、女性は息を引き取った。「執念の投票だった」と親類は振り返る。大山さんは硫黄島で幼いころ、女性にかわいがられていた。投票の様子を聞き、人目もはばからず男泣きした。

 「国や県に堂々と物申せるのは、こうした民意があるからだ」と大山さんは言う。不便な暮らしを少しでも改善したいという声で、高速通信網を導入。今は船の1日1往復と、港湾の整備を国に求めている。「本土との格差は大きい。声を上げ続けないと、村は無人島になってしまう」

~ Yahooニュースより引用 ~

 

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