2015年4月24日金曜日

三鷹市議会議員は市民の代わりに何かをしてくれる人ではない

<三鷹市議のブログより>

今回のタイトルは、「え?」という方が多いでしょうね。厳密に言えば、議決以外のことをしてくれる人ではないという表現になります。

前回のエントリーはこちらになります。

三鷹市長選挙・三鷹市議会議員選挙とはどういう選挙なのか?

ここでは、「三鷹市議会は、市長が提出した議案(市長提出議案)を議決するのが仕事です。」と書きました。

議決というお仕事は本当に大変な仕事です。お金が絡むことだとなおさらですね。三鷹市の場合1000億円弱の大金の使い道を決めるのですから、胃が痛くなることも正直あります。ダメなものにはダメと言わなければいけません。そのためには、調査をきちんとやらなければいけません。

このように、市議会議員とは、議決という行為のために、日々の業務があると言っても過言ではありません。半田の経験を言えば、賛否のボタンを押す瞬間に手が震えたことすらあります(2005年の一般会計予算に反対する瞬間)。

さて、この議決という行為についてもう少し考えてみましょう。

本来なら、市民のみんなが集まって議論をし結論を下すべきですね。これを直接民主制と呼びます。ところが多くの市民が集まることなど、物理的に不可能です。だから、私の代わりに決めてねという代理人を選ぶことになるのです。

代わりに決める人を選ぶ…これが三鷹市議会議員選挙です。選挙を通じて代わりに議決する人を決めるという形態の民主主義とも言え、代議制民主主義と呼びます。

このような代議制民主主義のもとでは、市議会議員とは市民の代わりに大事なことを決める人をいうのです。

前回のエントリーで「三鷹市議会議員選挙とは、「どういう姿勢で市長提出議案に接するか?」を問う選挙なのです。」と書きました。まさに議決の姿勢を問うのが、三鷹市議会議員選挙なのです。

ところが、現実はどうでしょうか。

明日から選挙公報が配布されます。おそらく各候補「◯◯をやります!」とか「◯◯を進めます!」のオンパレードでしょう。

ここからわかることは、立候補者の意識は、「市民の代わりに何かをする人が議員である」というところにあると想定できますね。

つまり、市議会議員選挙の本質と、実際がかけ離れているという不思議な現象が発生するわけです。

代議制民主主義のもとでは、議員とは市民の代わりに大事なことを決める人であり、市民の代わりに何かをしてくれる人ではないのです。議員は庄屋ではありません。当然の結論です。

皆さんは、選挙カーを見るたびに「この候補は何をしてくれるのか?」とついつい考えてしまうことでしょう。

しかし、ここで改めて原理原則を見つめ直し、(新人や元職は別ですが)「この候補者は、どのような姿勢で議決してきたのか?」を考えるように、ぜひお願いしたいのです。

このように考えると、三鷹市議会議員選挙の際に大切なことは、現職であれば、強大な権力を持つ市長にどのような姿勢で対峙し、議会でどのような賛否行動をとってきたかが全てであり、これ以外の要素は市議会議員選挙の本質とは離れているということになります。

最後にまとめておきましょう。

【本エントリーの要点】

・代議制民主主義のもとでは、議員とは市民の代わりに大事なことを決める人であり、市民の代わりに何かをしてくれる人ではない。

・三鷹市議会議員選挙の際に大切なことは、現職であれば、強大な権力を持つ市長にどのような姿勢で対峙し、議会でどのような賛否行動をとってきたかが全てであり、これ以外の要素は市議会議員選挙の本質とは離れている。


 

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