2015年5月14日木曜日

新しい議会

<合志市議のブログより>

明日、新議長の選出から新しい議会がスタートする。

各議員、まちづくりについてそれぞれの理想があると思う。

また市長、執行部との親密さこそ議員としての力量であると、

考えている人もいるかもしれない。

市長の残り任期3年は、それでやり過ごせるかもしれないが、

それで市の発展が望めるだろうか。

物事の多くが、結果的に

選ばれなかったもう一つ(や、それ以上)の道を

現実に目にすることはできないので、

選択の適否を後日判断することはむずかしい。

しかし、何らかの方法で、現実に即した検証をすること、

その方法を見つける努力を続けなければならない。

「ちょっと待てよ」は、

労働災害をはじめ、あらゆるミスや事故を

未然に防ぐための合言葉である。

議会にもチェック機関として、それが求められる。

的確な「ちょっと待てよ」を出せるかどうか。

そのために議員一人ひとりの日頃の調査研究が必要となる。

本会議だけではない議員の役割は重い。


 

2015年5月13日水曜日

「議員力」とは何か?

議員力メールマガジンに掲載されていた記事を、議員力検定協会の許可を得て転載します。


制度を利用して望ましい結果をどう出すか構想できる力と、おかしな制度を改めるために新しい条例をつくる力だと考える。

制度をうまく活用できるのが、議員力のある議員だ。
 

--受検者には市民も想定している?

検定には、制度や行政手続きに関する設問が多い。

それらは政策判断における民主主義を担保にする大事なプロセスで、市民も理解することが必要だ。

制度や行政手続きを理解していないと、時として行きすぎた消費者感覚を持ってしまい、議会に過大な期待を抱きかねない。

選挙で数年おきに「風」が吹く背景には、こうした事情も一因にある。

人口減少時代を迎え、過大な投資をすれば、次の世代に負担がかかる。

「制度を大きく変えればうまくいく」などと言う議員に、「少し待って」と言える力をつけることが求められる。
 

--候補者を見極めるポイントは?

議員集団は多様性の縮図。

多様な視点で議論をするからこそ本質に迫ることができるので、表面的なブームに乗らず、自分にとってしっくりくる人を選べばいい。

良い議員を選ぶための質問は二つ。

一つは「なぜ選挙に出るのか」。

もう一つは「これからの4年間、自分たちの街にとって重要な選択は何か」。

この問いに、自分の言葉で具体的に、答えられる候補者は信頼ができる。

候補者に問いかける市民が増えれば緊張感も生まれるだろう。

201548日付「毎日新聞」朝刊インタビュー“大丈夫?私の議会”より)

 

2015年5月12日火曜日

「i 広報誌」で市議会だよりを配信

流石、鳥羽市議会です。


出典:月刊ガバナンス5月号

2015年5月11日月曜日

議会局「軍師」論

月刊ガバナンス5月号、大津市議会局議会総務課長の清水克士さんが寄稿している。

「チーム議会」として、議員と議会事務局(職員)が協働関係を構築することが議会改革の成果につながる。そのために議会事務局職員は「先例」「標準」「横並び」「ひとごと」の意識から脱却し、ボトムアップで提案する姿勢、時には「軍師」の役割を担うことも必要である。

大津市議会は、ルーチィンワークをこなすだけの「議会事務局」ではなく、政策立案を議員と協働で担う組織であることを市民にも示すため、4月から念願であった「議会局」に改めた。今後もその名に恥じぬよう、常に新たな提案を続ける「軍師」として、議会改革を支えていきたいと述べています。

詳しくは、月刊ガバナンス5月号にてご確認ください。

2015年5月10日日曜日

新体制の議会のガバナンス

月刊ガバナンス5月号に、江藤俊昭山梨学院大学教授が寄稿されています。

『選挙後に新しい体制の議会が誕生する。当然任期は4年。その任期の中でどのような議会活動を行うかが問われる。新体制の議会・議員の心構え(原則)と、早急に取り組むべき課題を確認したい。そこには、①議員がそれぞれ輝くことは重要であるとしても、個々の議員の活動を超えた議会としての活動、②首長等との政策競争をするために連続的に活動する議会、③これらの議会活動でなければ議会の本来の役割が果たせない、④それを推進する条例や条件整備(報酬や定数削減等)が不可欠、といった今日実践されている考え方が前提にある。なお、提起する課題をすぐに実践することが困難な議会もあるだろう。その場合でも、しっかりと心構えを確認し、可能なことから漸進的に実践してほしい。新しい住民自治を進める道なのだから・・・』

詳しくは、月刊ガバナンス5月号にてご確認ください。

2015年5月9日土曜日

議員本来の仕事

<松坂市議のブログより>

愛知県東浦町の神谷明彦町長が、4月の統一地方選で当選された議員の当選証書交付式で、特に新人議員に対して述べられた挨拶が興味深いです。

地方議会の議員の仕事といえば、所属政党の国会議員や県会議員の選挙を手伝うこと、行政の行事に来賓として出席すること、支持者の御用聞きをして行政に便宜を図るよう口利きすること、だと信じている人が実に多いのではないでしょうか。

でも、これらはどれも議員本来の仕事ではありません。

議員の仕事とは、市民の意見を集約しつつ、行政に対して政策提言をし、また、行政の不正や独断がないかチェックをすること、なかでも、最も大切なことは、議会でお互いに議論して、自分なりの考えのもとに議案に対する賛否を明らかにすることです。

議論をして議会としての結論を出すこと、自治体としての意思決定する(条例制定・改正や予算を決める)ことです。

議員のみなさんには、一人一人に意思決定の重い責任が課せられていて、自分の賛否について市民への説明責任がかかっていることを忘れないで下さい。

このことを神谷さんが、個人のフェイスブックに書いてみえます。

わたしも、これをフェイスブックで紹介させていただいたところ、何人かのフェイスブック・フレンドから、「議員に対して失礼では?」等々のコメントをいただきましたので、わたし自身、思うところをコメントにしました。

海住 中味は当たり前のように思えて、なかなかこのことの意味を理解している議員はいないと思います。確かに町長が言うのは異例だと思いますが、それを言う言わぬも判断するのは町長です。あえて言ったことの意義は大きいと思います。町長としては、議員は仕事の内容を勘違いしてくれているほうが楽だと思います。にもかかわらず、ちゃんと仕事をして町長に対しても厳しくチェックしろと言っているわけで、そこまで言ってのけること、素晴らしいことだと思います。

海住 全国どこの自治体にもおおむね共通する問題点を言い当てているものと考えます。

海住 特に新人議員へと言っているので、選ばれた新人議員にその職責に対する責任はまだ明確でないと思いますのでその質うんぬんという話ではないと思います。むしろ、長いあいだ議員の仕事をあいまいにしたままにしてきた議会に問題があったのだと考えます。これは東浦特有の問題ではありません。いま、全国で議会基本条例を制定しているのは、議会の役割とは、議員の役割と責任を明確にしなければならない必要性があるからです。町長の発言は二元代表の一方の機関(町長)が、もう一方の機関(議会)への使命のまっとうを求めるものです。長のほうへのチェックも議員に促しているのですから、二元代表の両翼が互いに役割を発揮し合うことで自治の力を高めていこうとする願いを込めているもので、相手に失礼とかという話とは次元を異にすると考えています。

 

 

2015年5月8日金曜日

情緒的な行政運営をいつまで続けるのか?

<船橋市議のブログより>

【その1】

行政運営というのは、私は合理的かつ論理的でなければならないと考えます。

 せっかく、新たに4年間の議席をいただき、さらには時間もいただきましたので、ゆっくりと「市政運営」について考えさせていただきたいと思います。

 私たち議員がそのチェック機能を果たしていくためには、そのため基準とでも言うのでしょうか?何を基にその事象、事案を考えなければならないのかというと、一番の拠り所は地方自治法になると思います。

 今回は、その地方自治法の1条から2条までだけを考えてみたいと思います。

 第一条  この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。

 下線を引きましたが、できてるかなあ~って思います。民主的にして能率的ですかね?健全な発達ってできてますかね?

 以前のブログでも書きましたが、「民主的」って?自分勝手な机上の理屈だけで、物事を進め、形だけのパブリックコメントを行い、民意は了としてる。と。

 議長在任中最後から2番目の議長報告がついこの間ありました。下記のような報告でした。

 私がなぜこの報告について気になるか?報告をいただいた際に、私の質問に明確にお答えいただけなかったからです。

 船橋市では、このような計画を策定するきには、一般的には会議体を設置し、素案を策定し、パブリックコメントにかけ、その結果を受け会議体で正式に「案」とし、市長の決裁を受け「計画」になります。

 今回、その最終形の「計画」に間違いがありました。

 私が瞬時に思ったのが、パブリックコメントにかけた文には間違いがなかったのか?素案には問題が無かったのか?です。

 なぜなら、一般的には、素案の段階で私たち議会への報告が行われます。そしてパブリックコメントが実施されて、最終的に決定されていきます。

 その流れは、これまた「私としては許し難い」のですが、「建前」では、修正しながら最終形に仕上げて行くように言います。が、しかし、一切修正しないと言っても過言ではありません。

 なぜなら、パブリックコメントも「市民の皆様に意見募集を行なったが特段大きな問題のあるご意見はありませんでした。」という市民の皆さんの意見募集を行なったというアリバイ作りのためのものであって、「パブリックコメント」本来の作業をしているわけではありません。

 その裏側は、市民の意見も聞こうともしない、そしてそれを拠り所にして、議会にも「パブコメの結果特段の意見もありませんでした。」という、議会突破の口実にも使います。それをまんま鵜呑みにする議会も議会ですが、事程左様に独善的かつ議会軽視の姿勢が根底にあるのです。

 話を戻しましょう。私への報告の際、「パブコメにかけた方は修正は無いの?」の質問に「チェックしていません」でした。

 前述したように、素案から最終形まで変更の意思無き素案ですからもし、最終形に間違いがあれば、最初から間違えていた事になるのです。

 ちょっとこの件は、長くなりそうなので今日はこの辺でパソコンを閉じます。

 続きも書いてまいりますのでご期待くださいませ。


 

【その2】

さて前回のブログは尻切れトンボのような感じで終わってしまいました。すみません。

 前回の結論を書きましょう。

 パブリックコメントの手続きについて何度も担当責任者に申し入れてきました。アリバイ作りのパブリックコメントは市民を愚弄していること以外の何物でもありませんから。

 あるものは、「攻(責)められた時に、パブコメでは特段の指摘なし。」と答えるためだけのものです。

 私はくどいほど言ってきました。そのためだけだったらやる必要は無い。と。

 政府のパブリックコメントの取扱をご覧ください。仮に目的が「アリバイ作り」だったとしましょう。しかし、きちんと体系立てて募集を行っています。

 私はバブリックコメントを実施するなら、実施するに価する対応をしなさい。ということです。形だけの、本当に市民を愚弄したやり方は、無用な期待を抱かせ、失望をさせ、行政への信頼を失い、延いては「無関心層」を増やすだけの話です。

 私は、それが地方自治法第1条の、

 地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。

 に合致しますか?ということです。

 「能率的な行政の確保」では無いと思うのです。まず、手間暇かけて、実施するパブリックコメント。これが「形だけ」のものであるのであれば、法の定めなどの特定の縛りが無い限り「無駄」にしか過ぎないのです。

 しかも、意見募集をしておきながら最初から「従う意思なし」です。むしろ「聞く耳持ちません」という姿勢です。

 そのことは、地方公共団体の健全な発達には全く資さないと思うのです。「お上の意識」そのものです。

 前回のブログで、スポーツ推進計画の訂正で、策定時の部課長ではないので「知らん」という態度。公務の継続性などどこ吹く風という感じです。だから、策定時のパブリックコメントなど知らんと。この無責任さ。これが一事が万事なのです。

 私は、この部課長を責めようというのではありません。

 それを許してしまう体質に問題提起なのです。議長在任時に、何度議長報告を受けたか?私は、その議長報告の9割近くがその決裁印を押した者の責任となるものが、ほぼこれまた9割。決裁印を押す者の誰か一人が真剣に印鑑を押しながら気づきさえすればこんな報告しなくてよかったという事案ばかり。ここでいう決裁印というのは「最終決裁印を押すこと」ではありません。最終的に決裁印を押す者は、「部下への信頼」があるのです。それをことごとく裏切る行為をしている「管理職者」の責任です。しっかりしていただきたいと思うのです。

 赤信号みんなで渡れば怖くない。的発想で、みんなでかばい合う体質。それが情緒的行政運営なのです。「印鑑を押す責任の重さ」をうすうす知っていながら、スルーをするずるさが私はたまらなく許せません。

 民間企業を引き合いに出すつもりはありません。しかし、これだけは言えます。民間企業ではあり得ない無責任さ。印鑑を見れば見るほど、その職員の無責任さの証にしか見えないのは私だけなのでしょうか?