2016年2月16日火曜日

会議の公開ということの意味

<松坂市議のブログより>

自治体が自治体固有の政策を形成していくための会議を可能な限り公開していくのは当たり前という当たり前のことを、つい、思う、このごろである。

昨夜、年末の三重県医療審議会に続いて、松阪地域医療構想調整会議を、傍聴した。

この会議の重要度に星を付けるとしたら「☆☆☆☆☆α」となる。

出席者は、三重県医療対策局局長を初めとする医療対策局チームと、三重県医師会、三重県病院協会、三重県看護協会、市町担当者や医療機関など。住民代表は含まれてはいないが、それぞれの専門家たちが、個別の利害ではなく、10年先の地域医療体制の枠組みを設計するための話をしている。

膨大化する医療費を抑制したい厚生労働省の方針をもとに方向性を示している県医療対策局とすれば、この会議でオープンにしている資料はもちろん話の内容自体が、取り扱われ方によってデータが意図しない方向に一人歩きしていくリスクを負っている。現に昨年1120日に公表した急性期病床の削減案に対しては会議の委員たちからの反発も強く、その後の会議からはその数字はいったん撤回、削除している。
しかし、その数字自体は、いまでも公開資料である。

そのようなことがあっても、会議は公開していく。当然、資料も公開していく。

その会議に傍聴というカタチであっても、医療の専門家ではないわたしたちが参加していく過程そのものが、地域政策を判断していくうえで重要であるし、直接政策決定に参加しない立場の人であっても、選挙という際には主権者としてモノ言う立場となることができる。

それが、民主主義なんだろうと思う。

なんの、リスクをおそれてか、会議の開催までに理由も人によって異なり、担当部署の職員でも理由を言葉を濁すような理由で、「非公開」と決めてしまうようなことがあってはならない。
http://blog.livedoor.jp/kaiju_matsusaka/archives/52250031.html

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