2014年8月5日火曜日

性善説市役所はもはや崩壊しているのではないか?

<船橋市議のブログより>

【テーマ:船橋市の職員の皆様へ】
「久しぶり」になっちゃったブログです。読者の皆様申し訳ございませんでした。書こう書こうと思っても、変に肩書きが邪魔をしてくれます。
議長だから知り得た話とそうでない話との区別が非常に難しく、「そこの線引きだけはきちんとしなければ」となると、保育で起きている様々な問題に対する話や、総務系の何とも情けない話や教育委員会事務局が狂育委員会事務局であることなどまあ、枚挙に遑がないという感じではありますが、とりあえず「我慢」の毎日です。

さて本日のタイトルは、議長としての仕事をこなしていますと、「大人の社会科見学」が数多くあります。
先般も、JEFスチール株式会社東日本製鉄所千葉地区を視察させていただきました。素晴らしいの一言です。
The日本経済」という感じでした。千葉市がなぜ政令指定都市になり得たかをまざまざと見せつけられた感じがしました。
「間違い無く、明らかに日本経済の根幹とも言える、基幹産業の主要工場が立地することの重さというのは計り知れないな」と強く感じました。その存在もさることながら、その事業、業務の内容そのものの一端を視察させていただいただけで、驚愕の連続でした。

無事故で最高の利益を上げるのが企業の宿命とも言えますが、今回のブログで申し上げたいのは、「無事故」をどう続けるか。事故をなくすにはどうするべきか。を常に業務の中で考え、取り入れて行くか。万が一でもありえないとは思われることでさえ、事故想定をして業務に取組む姿勢がありました。

そして昨日、724日船橋市高瀬町のニチレイフーズ船橋第二工場を視察させていただきました。ここは、食品と言う人間の身体(口)に中に入れるものを製造する工場です。その事故防止策は、無人化に近いほど機械化された製造ラインの中でもすべてに考えられた「仕組み」が存在しました。そこには「性善説」など全く存在しません。そこの部分を考えると日本の伝統文化、精神文化、道徳観、倫理観などとは真逆の世界でもあり、日本社会で通用するのかという疑念さえも抱きそうになりました。が、しかし、一方の「社会」で求められていることは、それらを否定してまでも行わなければならない現実がある、ということです。

先般というかここのところ職員の方々と話をしていて、「いやいや私はこれこれこうですよ」という納得いく優等生のような回答が。いや、優等生なんですよ。普段の仕事ぶりからしておっしゃっていることはウソ偽りが無いでしょう。しかし、庁内全部の部課長さんがそうですか?あなたと同じことをやっていますか?そういう人材教育ができる体制になっていますか?突き詰めて行くと、そういう話になった時点で、「絶句」状態になります。

そうなんです。性善説に基づく人材育成のシステムが崩壊しているのです。冷静に考えればそのことを理解する部課長さんたちがたくさんいるのです。しかし、縦割り行政の最も悪いところが出ています。「私の担当ではない!」いやいや、「人を育てる」のは、総務部ではなく「各管理職」の最も重要な仕事です。まさか「事務分掌に書いてねえから俺たち知らねえ!」とか言わないですよね。

何が言いたいか?
「それくらい常識でしょう!」、「それくらいはわかっていると思いますよ」、「そんなことしないでしょう」、「そうは言わないでしょう」。
何度もそういう言葉を聞いたことがあります。

そうじゃないんです。「そうじゃない時代」になってきていることを敏感に感じ取らないと。そんなの少数派でしょ?そうです。少数派です。しかし、その少数派が事故原因になり得ることを前述の2工場は考え、その対策を講じているのです。一方で、私たちの市役所は、「仕方がない」という考え方を何事にも根底に据えています。「俺が直接原因者じゃないもん」。これだけ職員がいれば「仕方がないよ」なのです。
「そんなにガチガチに、キチキチに締め付けたら仕事なんてできないよ」とか、「世知辛い世の中ですね」とか皮肉を込めて言われそうです。

そうなんでしょうか?

上下関係において「あ」「うん」の呼吸がとれて、「言わずもがな」がきちんと部下につたわっているようなコミュニケーションがとれていれば、「事故はおこらない」と信じたい私がここにいるのも事実です。しかしこのブログを書きながらもさてさてどこまで性善説でいくべきかと悩む今日この頃です。

マイクロマネージメントという言葉があるそうです。最近知りました。
「自由」な「民主主義」が定着したこの国は、多様な価値観を認め、多様な倫理観が存在し、多様な道徳観さえも存在してるようです。そのことが正しいのか?違うような気がするのですが、昔からある倫理観、道徳観、価値観では、対応しきれない現実が存在していると思うのです。しかしながら、わたしのすぐそばの仕事の流れは昔のまま。昔の道徳観で、昔の倫理観で「あ」「うん」の呼吸が存在していることが前提の仕事の仕方なのです。

先般の不祥事の際も、「悪意を持ってやられたら防ぎ様もありません」と断言される方々がほとんど。前述の2工場は「悪意を持ってやられることも想定内」で工場の業務が進んでいます。

「悪意を持ってやられたら防ぎ様もありません」と言って、責任を逃れ、責任を転嫁し、決着させることって正しいことなのでしょうか?
振り返ってみてはいかがでしょうか?私は、猛省をし、振り返って、振り返って、考えています。船橋市役所で起こる不祥事は議会に責任は無いのか?もっと言えば議長の私に責任は無いのか?

これは大いにあると思います。

まず議会のチェック機能。チェック機能と一言で言いますが、「厳しい議会のチェック」が全く存在しません。
まず市長与党などと言って、「盲目的に」というか、まったくもって議員の職務を放棄している議員が確実に一定数存在していること。
「議員の仕事は「議会」に出席すること」だと思っている議員が確実に一定数存在していること。議員の仕事は、「議会が行われていないとき」こそ大切なのに、です。船橋市役所で言えば、そういうときに課長の席へ行き、部長の席へ行き、局長の席へ行き、「あなたたち、公務員の世界での思考はこうだね。だけど市民からの視点ではこういう見方もあるよ」を日常的に繰返し言わなければなりません。それが議会のチェック機能の一端であり、末端の職員にも議会の役割や立ち位置を知らしめる行動でもあるのです。

現在はそれが「皆無」でしょう。当選1回の議員がたまにやっているようですが、それはどちらかというと、自己顕示の行動にすぎないようです。残念ながら良い評判の当選1回議員の名前は聞こえてきません。謙虚さに欠けるようです。これは当選1回のみならず、当選2回のひよこちゃんも特に評判が悪いようですし、当選3回もまあ育っていませんから、どうしようもありません。あっ、これらの話はすべて共産党と公明党の議員は除きます。
そういうことを言っていても始まらないのですが、育てようにも「基礎学力」的勉強をしない議員が多すぎるのと、謙虚さに欠けて、もういきなり「自分は議員なんだから偉いし万能なんだ」的が議員がものすごく増えてきていますね。

ちょっと方向が外れてきましたので、一旦パソコンを閉じて続編を改めて書きます。


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