2015年6月5日金曜日

選挙の本質は「構造」にある

<三鷹市議のブログより>

もっとも、様々な努力を施しても、どうしても負けてしまう選挙というのは現にあります。小選挙区制ないし中選挙区制だとこの傾向がはっきりしてきますね。一方、市議会議員クラスでは必要な票を集めれば勝ちという側面もあるにはありますが。

政治家が努力さえすれば選挙に勝てるなら、答えは簡単で各自努力をすれば良いだけなのですが、そうは簡単にはいきません。なぜなら、残念なことではありますが、選挙のもうひとつの本質は「構造」そのものにあると言えるからです。

国政選挙で見てみましょうか。公明党や共産党は話は別として、自民党と民主党で考えてみます。確かに両党それぞれ違いがあり、特徴はあるのですが、例えばある選挙区では自民党は50万票を取るんだが、民主党はどうしても30万票を越えないとか、そういうことはよくありますよね。地方に行くとその傾向は顕著かもしれませんし、反面都心部でも逆の意味でその傾向はあるかもしれません。

つまり、選挙区ごとに特徴があり、投票総数がどう割れたかという構図を考えると、ある程度見えてくるものがあるのです。こういう分析は投票率や相対得票率で見るのではなく、あくまで投票総数でみるべきだろうと私は考えているところです。

いくら候補者が努力しようが、何十万票という世界の前では、数万票レベルの上積みがあったとしても、たいしたことにはならず、結果としては構造が守られたという例は、いっぱいありますね。

自治体議員レベルもそうです。私が関係した三鷹市議会議員選挙で見てみましょう。

2011年と2015年に選挙がありましたが、候補者はそれはもう必死に頑張るわけですが、蓋を開けてみれば、2011年に比べて2015年は公明党が候補者を1人減らした分を、「もともと」3000票近くある、ある政治団体系の方が勝ち取り、またみんなの党が消滅して現職が落選、その代わりに維新の新人が来た、つまり入れ替わりという結果でした。

こういうのは所詮終わった後でないとわからないという側面は確かにあります。しかし、いざ終わってみると、「あぁ、やっぱりこうなったか」という結果に収まっていることが多いものです。

この構造を崩すというのは、まず無理とみて良いでしょう。唯一崩れたのは、私の目から見たらそれはあの2009政権交代でした。これがなぜ崩れたかはまた後に書きますが。

つまり、候補者の努力レベルでは如何ともしがたい、れっきとした構造が選挙にはあり、その構造の枠内に入ることができるかどうかで、当落が決まってしまうという現実があるのです。比例名簿で上に来れば当選ですね。自民党が強いところで小選挙区制の候補者になったら当選ですね。こうなってくると、いかにして候補者になるかという点そのものが実は大切だったりするわけです。

結論を先に書きますと、これは大変不健全な話です。選挙とは、政策を競い合い、有権者に選んでもらう儀式なのに、選挙前に勝負がついていると言っても良い状況が多数発生すること自体、健全なわけがありません。なぜならそこには有権者の所為がないからです。

このように、選挙特有の構造の文化は、その構造の枠内に入り込めるか、入り込めないならどうすればその構造を崩すことができるかとなっていくのです。

 

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