2016年5月25日水曜日

議会基本条例10年

<船橋市議のブログより>

「問題が発生したため、Microsoft Wordを終了しました。

ご不便をおかけして申し訳ありません。」

 のアラートが繰り返し出るという「惨事」に見舞われ、格闘をしていて、ブログ更新がままなりませんでした。

 そんな中「議会基本条例10年」というフォーラムに行ってきました。
日本全国からものすごい数の議員、事務局職員、市民が集まっていました。
 
 その関心の高さが伺えますが、さてさて、どう見ても失礼ながら、ことの本質を理解できている方々なのか?という雰囲気でした。でも、どういう意味合いでも位置付けでも関心が高いことだけははっきりしていました。

 正直申し上げて、この議会改革推進学者というか、議会改革御用学者というかと感じで、非常に距離を置いてみていた先生お二人ですが、考え方を改めました。申し訳ありませんでした。と思います。

 ただ、おバカな軽薄な、議会改革論者の議員を大量製造した責任はあるな。(笑)という思いは変わっておりません。

 まず、我が船橋市議会の一部議員が使う独特の単語を広めたのもこの先生だな。と感じる発言がありました。これには参りました。

 さて話を戻しましょう、私はこのお二方の先生、そして、三重県知事をお務めになった北川正恭先生が議会改革学者だと思っていますが、現行議事法、議事運営法などとその実態を十分に把握もしないで、理想ばかり語っているいわゆる学者バカと勝手に認定していました。(すみません。)

 今回のお話を聞いて、実態の把握はある程度できているな。とは思いつつ、それにしても、「議会」の一つ一つが、すべて違っていて、それが更に4年に一度大きくガラリと変わって、リセット、成長、リセット、成長の繰り返しであることをご理解なさっていないということと、そういうことは強いリーダーシップとやる気の問題です。くらいのことをおっしゃっていましったが、「うそ」や「ねたみ」などが複雑に交錯することを想定していないで理想だけでやっていけるというようなことを前面にだしていままできたことが伺えましたが、そこの部分を理解もせず、教えられもせず、育ってしまう船橋市議会の新人議員、2年生議員みたいなケースが、議会の定数の大きなウエイトを占めた場合にどんな現象が起きるか想像もできないようでした。

 日本全国、アクセサリー条例、アリバイ条例と揶揄されるような「議会基本条例」を制定している自治体議会が非常に多いようです。

 それではダメだ。ということですが、確かに、議会の責任が重くなり、議員の意識を変えていかなければならないという部分では、間違いはありません。

 そして、そういう意識変革を日本全国の自治体議会にもたらしたことも評価すべき点です。

 そして本気で変わった議会が一定数あることも評価に値します。

 しかし、その一方で前述したように、議会運営のイロハもわからないような「無能議員」が、わかった風に、「議員間の自由討議」などと言えば言うほど、頑なになっていくような風土があるという「議会」という場。これを理解しないという現実。そして理解をしようともしない現実があります。それは人間性の問題もあるかもしれませんが、ステレオタイプというのでしょうか?政治の世界に入る前のメディア情報だけで見ていた政治の世界。現実を見ようともせず、メディア情報のまま、発言をしてしまう愚挙。これが救いがたいものになっています。

 何度も何度もこのブログに書きましたが、議会の改革は、形の改革ではなく、議員個々の意識の改革がなければ進みません。

 議員の改革が議会の過半数を占めない限りは進まないのです。

 船橋市議会で言えば、定員の5分4くらいの議員は議会の運営方法(理論、根拠、背景等々)を理解しておりません。

 これまたこのブログに書いたことがありますが、議長や委員長の仕事を議会事務局が用意した「次第書」という、シナリオ集を正確に読み上げることだと思っている大バカ議員が大半です。

 私から言わせれば、議会や委員会の議事進行上のメモに過ぎず、そのメモを見ながら、議長、委員長は自身の議員としての経験を詰め込みながら、自分流の議会・委員会運営を行うべきです。

 それを大きく勘違いしているのです。

 特に今期の常任委員会を始めとする「委員長」なるものの力は惨憺たるものです。

 同時に、委員の意識の低さもひどいもので、むしろ議会改革の対極にある感じです。

 なんともなあ~という感じです。
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-12161797563.html

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