2017年1月12日木曜日

地方議会の危機

<会津若松市議のブログより>

自治日報から原稿依頼を受け、去る12月16日の「議会」という「囲み」欄に載りました。(写真の下に文章)


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議会の危機とは何か?
それは、選挙の低投票率()が常態化していること、市民の議会に対する話題で一番多いのが議員定数や報酬の削減を求めるということなどだ。これらの背景は、議会(議員)に対する不信感の表れであると思う。それは議会への軽視・無用論につながり、このことは、大変な危機状態にあるということを自覚すべきと考える。
一方で議会(議員)側はどうか?
地方分権という大きな流れがあり、二元代表制という国会とは違う制度であるにもかかわらず、政党を背景とした会派というくくりにとらわれ(また安住し)、議員個人としての議決責任・説明責任をあまり自覚していなかったり、首長の「与党」「野党」意識という無理解がまかり通っている議会がまだまだ多い。また、政務活動費の不正や、議員個人の資質が問われる言動や「事件」が不信感を増幅している。
平成18年の北海道栗山町の全国初の議会基本条例制定以来、目に見えて「改革」を進めてきている議会も増えてきた。マスコミに載ることは少ないが、熱のある議員や議会事務局職員の「試行錯誤」や「切磋琢磨」の様子は、地方自治の研究セミナーなど全国から集まる参加者からも感じられる。
さて、どうしたら議会の危機を乗り越えることができるか?
大きく二つの軸があり、これを議会として実践していく必要があると考える。
一つは、「問題解決」という軸。
これは市民の中にある個別具体的な問題や漠然とした生活上の不安の解決・解消のために、議会がその権能を使って「成果」を挙げ、市民に役立つ存在であるよう機能するということである。市民との意見交換会などで、市民意見を議会が「咀嚼(そしゃく)」し、(市民個々の『御用聞き』ではなく)政策に練り上げ問題解決を図る。
「アウトプット(量的成果)からアウトカム(質的成果)へ」と言われて久しいが議員の質疑や議員間討議も政策のアウトカムの評価を意識して市民福祉の向上につなげていくべきであろう。例えば、道路の改修がなって、そのことで利便性がどう増したのか、交通事故がどう減ったのかというようなことを、政策ごとに評価する審議が求められる。
もう一つは、「主権者教育」(上から目線的言い方で恐縮だが)という軸。
「地方自治は民主主義の学校である」という言葉もあるが、議会が市民の中に出向き、あるいは市民を取り込み、議会の活動を知って理解してもらうことである。
その方法であるが、第一に市民との意見交換会(市政報告会)がある。参加した市民からは身近な要望や議員の報酬や定数のことばかりで政策論議にならない、という嘆きも聞こえるが、議会と執行部の立場の違いをきちんと説明することが日本の民主主義の仕組みを説明することになるし、何より(反問権?も使った)真摯な受け答えが重要と考える。市長のタウンミーティングは、予算の関係などできない理由を言うことが多いようだが、議会側としては、どうすればできるかそのための方策を一緒になって考えるという姿勢で臨まなければならないと思う。
次に、会津若松市議会では議会制度検討委員会に公募した市民委員二名を入れているように、議会に市民を取り込む方法。ここでは、定数や報酬の論議と、一種の議会の取扱説明書とも称してもいい「見て知って参加するための手引書」という冊子の編集を行ってきた。(この『見て知って参加するための手引書』は、四年の任期中に一回全戸配布)期によって変わる市民委員から議員選挙に立候補した人もいる。さらに、長野県飯綱町議会では、議会だよりに百人のモニターを募集し毎号アンケートを実施しているという。
こうした取組みが、議会の市民に対する「主権者教育」になると言えるし信頼につながると考える。
地方議会の危機は、我々地方議会自らの「改革」によって払拭していかなければならない。
 
http://www.meguro.gr.jp/blog/?p=1528

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